【コピペ】
あわゆき 久美子

2年前に友達限定で書いていた記事。
わからないなりにいいとこ突いてるなあ、と上から目線で言ってみる笑
わたしのなかでは、不浄も穢れも
「愛になりたかったものたち」で
ただしくは愛ではないけど、愛に昇華することもできるものたちだと、私は思っている。
なんか、そういうみみっちいことも、全部ひっくるめて愛そうと思うし、ここで生きているうちは、めいいっぱい楽しもうと思うし、ときに愛せない私も愛そうと思うよ。


あわゆき 久美子
2018年7月1日

鬼のように蚊に刺されて、なんでー?と言われるたびに、説明に困って不浄な血だからじゃね?と軽くかわしていたのだけど

そもそも、不浄とか、穢れって、なんなんだろうね。

私は、不浄とか、穢れだと言われているもののなかに、愛が潜んでいるような気がしてならないよ。

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穢れてる、とか
穢れてない、とか
高い波動とかそうではない波動とか

言っていることは、とてもよくわかる。
体感として感じることも、ある。

どうしても無理な場所や人、なんとなく心地よくて一緒にいたくなる場所や人もいる。

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じゃあ、その穢れと言われているものは、どうして穢れになったの?

たとえば高い波動の人がよくて
そうではない波動の人もいたとして

そうではない人は、どうしてそうではなくなっているの?

そこの背景に、なにがあるんだろうか。

そこに根本的なものがある気がしてならない。

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こう言っている私だって、ちゃんと寄り添えているわけじゃない。

そもそも、すべてに寄り添うことなんてできない。

言っている人達を批判したいわけでもない。

ただ、ずーっと違和感があって、時々小骨が刺さったみたいにちくりとする。

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私は、波動が、とか、穢れ、とかいう言葉を聞くたび、なんとも言えない気持ちになって
いつも曖昧に微笑むことしかできなくて。

とても無力で言葉足らずだな、と思う。

でも、わたしにできることは、いきている以上、ぜんぶやろうと思うよ。
わからないなりに。