>>942 返答する場合、次スレの15にお願いしたいです。返信する意義を感じられなければ、もちろんしなくて構いません。

@無用な知識・寄与率の低い知識とは何を「基準」に言っているのでしょうか? あなたの憶見によってそれは切り分けられているように思います。おすすめの本としてマルクスの資本論を示す人が、その資本論の土台となった書物については無用だと遠ざけるのは理解が難しいです。

まずマルクスは社会学・経済学の古典ですが、彼の資本主義社会の展望は後世の経済学者ワルラスやケインズによってずいぶん相対化されてますし、現代でもピンカーによって資本主義の未来は明るいことを論証して話題になってます。またマルクスが示した「自由の王国」の未来は検証できずポストモダンからはボゴボコにされ、共産主義を実行した国はその運用が難しく資本主義を選択した国と比べて失敗に終わりました。

そんなマルクスの著作を現代でオススメするあなたは、上述した批判を乗り越える知見がそこにあるからだと思います。しかしそういった古典を勧める人がどうしてヘラクレイトスらの著作を無用だと断じるのでしょうか? あなたが挙げたカント『純粋理性批判』はすでにヘーゲル、ニーチェの批判が加えられ現代では扱いにくい知識です。カントが無用ではなく、ヘーゲルが無用である理由とはなんなのでしょうか。


Aさて本題ですね。なぜフロイトを読む必要があるのでしょう? フロイトの心の仮説は現代科学ではほぼ実証されていません。子供がお母さんとエッチしたいけどお父さんが怖くてできない…人には死の衝動と生の衝動があり相克している…夢は暗号化されているからその解読が出来れば夢の意味もわかる……、といったことはアカデミズムでは大真面目に語っている人は残念ながらいません。

しかしそれでもフロイトは読む必要がある。こういう意味で有益だ。比較することでこの知見が具体的に得られる。そうあなたが語ってくれることを期待します