山本寛オフィシャルブログ
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たとえオタクがサークルだったとしても

2019-09-30 09:38.37
「オタク」と名乗る集団の存在が、いろいろ聞けば聞くほど解らなくなってきた。
彼らが何に帰属意識を持っているのか解らない。

昨日も「君らはアニメファンであり、ある特定の作品や、あるいは声優のファンという集まりであり、わざわざオタクと名乗る必要性がどこにあるの?」と、言い切ってきた。

これを敢えて簡単に分析すれば、やはり「オタク」という巨大な母集団に所属することで、ありとあらゆる方向に「炎上」という形で猛威を揮える、その権力だけは残しておきたい、という願望なのだろう。
僕はその発想すら危険だと思う。

そうじゃないと言うならば?

もちろん「オタク・イズ・デッド」を出すまでもなく、「文化民族」としてのオタクは消えた。
オタクはもうバラバラで、共通項などない。
だから誰でもオタクを名乗れるし、逆に言うとオタクの定義はどんどん曖昧になっている。

じゃあクラブかサークルの意識なのだろうか?
大学のサークルなんかは、全然活動しない幽霊部員や、顔だけ出す人間や、全然違うことをするメンバーもいる。

しかし、たとえどんな部活動であれ、サークル活動であれ、構成員が事件を起こしたら解散だ。
高校や大学の野球部の中で暴行事件があったら?最低でも休部だ。
昔「スーパーフリー」というイベントサークルが集団強姦事件を起こしたが、もちろん解散した。

「オタク」というサークルも、とうとう構成員が事件を起こした。
だから「オタク」というサークルにはペナルティを与えるしかない。

当たり前のことだ。

ただし、野球部が休部となったら部員は野球ができなくなるが、オタクが解散してもアニメを観ることは禁止されない。
より緩い繋がりだから、実際のペナルティなどほとんどないのだ。

ただ「オタクとして群れるな」と戒められるだけだ。

それすら拒絶するオタクって、何?
ここに青葉真司へと至る、確実に存在するオタクの集団的「狂気」を僕は見る。

#オタク #帰属意識 #サークル活動