輝針城周辺の戦い
夜明けを待ち、建設中であった輝針城まで撤退した海原豚は以前から考案していた戦術「神鬼狼」を試すことにした。少数の精鋭部隊が木や岩場などの地形を利用し
「神鬼や狼が飛ぶが如く」駆けずり回って撹乱、混乱させた後に本隊による突撃を行うというものである。
輝針城の周辺には森があり、そこで謙介を迎え撃つことにした。しかしこの時、すでに謙介の調略により裏切っていた松下が輝針城周辺の地理と神鬼狼を暴露していた。
そこで謙介は司馬歩と宿雁に命じ、森に火を放った。火攻めを想定していなかつた海原豚は混乱し、しかも不運なことに自身の部隊が風下にいたために
火に巻き込まれ、火炎地獄の様相を見せた。そこに謙介の本隊が突撃を開始し、支えきれなくなった海原豚は輝針城を放棄して撤退してしまった。
事態を重く見た太田はただちに春河、吾妻谷の双璧二将を援軍として遣わした。しかし古見渓までやって来た時、ほうほうの体で逃げ帰ってきた海原豚から
信じがたい報告を受ける。

「敵が信じられない速度で肥大化してもう古見渓の目の前まで迫ってきている!」

この時、謙介は捨馬(すてま)と呼ばれる早馬す乗り潰すぐらいの速度で宣撫工作を行っており味方をを確保していたのだった。元々辺境の地では東国に心から
従っている者はおらず、金さえ渡せば簡単に靡いたのである。
春河と吾妻谷は籠城を決め、防備を固めることにした。だがこの戦略も次の第二次東伐で破綻するのである。

戦後
初めて東国から領土を奪回したことに世間は沸き、「奇跡之謙介」「魔術師謙介」と讃えた。東国に煮え湯を飲まされ続けてきた者たちも謙介を救世主と崇めて
次々と合流し、彼の勢力は急速に拡大していく。その副作用として質の低下を招き、王朝の破綻を招くとはこの時誰も考えていなかったであろう。