後味がすっきりしない。この国の外交的自殺行為を私たちはいつまで無気力に見守らなければならないのだろうか?なぜ傍若無人な左翼勢力は米国-日本など同盟国の駐韓国大使観の前で外交的欠礼をはばからず、それでも公権力を含む体制を守る義務がある主流勢力は微動もできないのか?

何年か前、日本大使館前に慰安婦少女像を設置して外交的欠礼論議を呼び起こしたこの国がまた事故を起こした。今回は駐韓米国大使館が標的だ。民労総など90余りの反米団体で構成されたサード韓国配置阻止全国行動の24日包囲デモが問題だ。ソウル都心の米大使館を包囲したいわゆる人間の鎖をつなぐデモという同盟国米国を狙った事実上の敵対行為だ。

サード反対は言い訳にすぎず、韓米首脳会談が目前の状況で彼らは米国に向かって実力行使をして見せたが、それで私たちの現住所がみな明らかになった。状況を手をこまねいていた公権力、デモを許容した無責任な裁判所、口もにっこりとできない卑怯な知識社会は十分に総体的難局だ。

反米運動成功30年は左翼の作品
(中略:反米の歴史)

整理すると次のようになる。韓国社会の反米運動は過去30年余りの左翼の企画の中で最も成功した政治闘争だ。運動圏が火種を作り、市民勢力が受け継いで底辺を広げ、ついに中央権力まで占める間、韓国社会は傍観してきた。今、大韓民国が揺れているのは反米という体制脅威要素を相応の時に除去できなかったからだ。

誰を恨むのでもない。「反米、ちょっとしたからって何?」と言った大統領(記者注:盧武鉉大統領のこと)を私たちの手で選び、その後もずっと変わらないから、結局は私たちみんなの責任だ。その結果、この国はほとんど統制不能になった。慶北星州で現地人と外部の人がみな固く団結してサード砲台を運用する米軍部隊のオイル流入を制約する無法を天下にさらしし、ついに大使館包囲デモまで行った。

10年余り前、仁川(インチョン)のマッカーサー銅像の是非を論じた彼らは大胆にも大韓民国の安全の責任を負う米軍兵士らの活動を制約し、いよいよソウル都心の駐韓国大使館まで圧迫中だ。元大統領補佐官という者まで立ち上がって外交的自殺を繰り返しているのに、これをまともに叱る人さえ珍しい。

メディアも同じだ。1982年、釜山(プサン)米文化院放火事件が起きた時、すべてのメディアが「反米無風地帯」として知られた韓国でこの様なことが起きたことを心配した。その流れで当時の中央日報はこのように指摘した。「反共と親米は憲法以上の国民的合意と断言できる。」

35年後の今の状況を見れば、少々隔絶感がなくはないが、当時のジャーナリズムはそれでも元気だったし、自由民主主義韓国社会を支える柱の一つであった。事実、建国大統領、李承晩(イ・スンマン)博士が大韓民国をたてる時、効率的な米国活用法、すなわち用米のノウハウを発揮した。それは親米-反米の二分法を離れてこの小さな国の生存法だった。

彼が用米で国を建てたとすれば、朴正煕(パク・チョンヒ)は用日でこの国を金持ちの国にすることに成功した。韓日国交正常化をはかって国際政治と経済の二つの領域の念願を共に果たしたのだ。すなわち大韓民国の建国と富国は純粋に用米-用日の連続的成功のおかげだ。

おかしなことに、今の私たちは必ずその反対に動く。米国を指差し、日本には常に不平不満を言う。この様な過程で朝・中・東の3紙が体制守護の隊列から離脱したという疑問を持って久しい。だから一層心配だ。一つの国が壊れようとする時に起きることを、私たちはこの頃、実感しているところだ。再び問う。用米-用日で立ち上がった国が衝動的な反米-反日と共にこのまま座り込むのか?

チョ・オソク/ジャーナリスト
http://img.mediapen.com/news/201706/news_280447_1498434688_m.jpg

ソース:メディアペン(韓国語) 用米で立ち上がった大韓民国、反米で座り込むか?
http://www.mediapen.com/news/view/280447