「支那渡航婦女の取扱に関する件」が通達されるまでの経緯は以下の通り。

1938年2月7日付和歌山県知事発内務省警保局長宛「時局利用婦女誘拐被疑事件ニ関スル件」。
1938年1月6日、和歌山田辺で、支那で慰安婦に就職しないかと勧誘した挙動不審の男らが誘拐容疑で逮捕された。
男らは軍の命令で募集していると称していた[2]。


5.時局利用婦女誘拐被疑事件に関する件[同右]
1938.2.7*2
和歌山県知事
内務省警保局長

軍部の命令で「上海皇軍慰安所」に送る酌婦募集にきたと述べる二人の大阪の貸席業者が婦女子誘拐の疑いで取調を受けた件の報告。
照会して得られた長崎県外事警察課長の回答(1938年昭和13年1月20日)を付す。
そこには、1937年昭和12年12月21日在上海総領事館警察署長より長崎水上警察所長あてに来た軍慰安所設置への協力依頼が付されている。
この依頼状には領事館、憲兵隊、武官室の任務分担が説明され、女性に書かせる承諾書の文案も添えられていた。