台湾は15日、史上最も長い38年間の戒厳令が解除されてから30年を迎える。戒厳令下の台湾では、政治活動や言論の自由は厳しく制限され、「白色テロ」と呼ばれる市民の逮捕・投獄が横行した。台湾社会は今、中国や香港の人権抑圧を横目に自由と民主主義を謳歌する。だが、苦難の時代の真相解明は緒に就いたばかりだ。(台北 田中靖人)

 台湾本島南東部・台東市の沖合約33キロに浮かぶ緑島。サンゴ礁で囲まれた外周約19キロの小島は夏場、ダイビングを楽しむ若者らでにぎわう。島内には、かつての「政治犯」収容所が一般公開されている。

 初期の収容所「新生訓導処」で過ごした張常美さん(85)は1950年、18歳で中部・台中の高等商業学校に通っていたある日の授業中、校長から呼び出され、そのまま台北に連行された。張さんは入試の成績が良く生徒会に入っていた。訳が分からず泣き続ける張さんに、取調官は生徒会長が「共産主義者」だと告げた。言われるまま書類に拇印を押し、12年間を獄中で過ごした。判決書に書かれていた60人以上の「共犯者」の名前は、誰一人知らなかった。

 陳新吉さん(76)は22歳で兵役中だった63年、突然部屋に入ってきた男6人に押し倒されて連行された。「台湾独立」運動の組織とされた「軍中互助会」の会員が高校の同級生で、食事をしたことがあった。指のツメの間に針を刺すなどの拷問を受けて「何人を仲間に引き入れたのか」と問われ、無実の友人数人の名前を言ってしまった。

台北市内の収容所で5年の刑期を終えて実家に戻ると、母親は精神を病んでいた。今でも毎日午前4時半に目が覚める。銃殺される収容者が連行される時間だ。当時は「次は自分かも知れない」と恐れた。

 中国国民党の蒋介石政権は当初、「共産党のスパイ」を摘発、奨励金目当てに密告された人もいた。

 戒厳令の解除は突然、訪れた。蒋介石の死後に総統となった長男、蒋経国は86年10月、米ワシントン・ポスト紙社長キャサリン・グラハム女史との会見で解除の意向を表明、関連法案の整備を待ち87年7月15日午前零時に解除された。当時、副総統だった李登輝元総統は、同女史との会見前後に蒋経国から解除の方針を伝えられたという。李氏は産経新聞の取材に「解除は当たり前で遅いくらいだ。あまりにも長すぎた」と振り返る一方、「戒厳令の解除で民主化ができるようになった」と評価した。

 38年間の戒厳令時代に何人が逮捕・投獄され処刑されたのか、正確な資料はない。98年から2014年まで設置された補償基金会の調査によると、死刑は809人。国防部(国防省に相当)は05年、逮捕者は約1万6000人と報告した。だが、関与した治安機関は他にもあり、14万人が不当に逮捕され4000人が処刑されたとの推計もある。

蔡英文総統は昨年12月、台北市内の収容所跡を訪れ、3年以内に白色テロの「真相調査報告」を取りまとめる意向を表明。立法院(国会)で現在、関連法案が審議されている。蔡氏は12日、民主進歩党本部の会合であいさつし、「戒厳令解除30年を記念する意義は、この国が犯した過ちを反省するとともに、全力を尽して自由と民主を守っていくことにある」と強調した。

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 ■台湾の戒厳令 蒋介石政権は国共内戦の末期に憲法の一部条項を停止し支配地域に戒厳令を発令。台湾は1949年5月から戒厳体制に入った。集会・結社・言論の自由などが制限され、反体制派の摘発に利用された。一般市民にも軍法が適用され、該当の裁判の多くは一審制で行われた。87年の戒厳令解除後、関連の刑法などは91年まで続いた。現在の与党、民主進歩党の有力者には「白色テロ」の被害者やその支援者が多い。



http://www.sankei.com/premium/news/170713/prm1707130005-n1.html
2017.7.13 05:00
http://www.sankei.com/premium/photos/170713/prm1707130005-p1.html
緑島に残る後期の政治犯収容所「緑洲山荘」跡=2008年8月(田中靖人撮影)