>>716
稲作の起源について、日本の学者の韓半島への伝播説が崩れた。
1970年代まで日本の学界は、福岡県板付遺跡で発見された炭化米の年代(紀元前3〜4世紀)が、金海貝塚より古いという理由で、
稲作が中国南部から日本列島を経て、韓半島に広まったという主張を展開していた。しかし、郡欣岩里の炭化米発見をきっかけに状況が逆転したのだ。

これで世界の考古学の教科書の内容も変わった。
イム・ヒョジェは稲作の黄海横断説を提起した。
「中国の揚子江から、黄海を渡り、韓半島の中部地方へ稲作が入ったと見ます。
以降、漢江に沿って広がり、日本列島に伝えられたのです」


ネトウヨまけたw

ソース:http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2016/09/20/2016092003318.html