レコードチャイナ 2017年7月16日 13時30分 (2017年7月16日 14時41分 更新)
http://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20170716/Recordchina_20170716020.html
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中国人と接したことがある人は、人付き合いの距離感が日本よりも近いことに気付くことが多いのではないか。北京科技大学の範紫瑞さんは、そんな日中の微妙な距離感の違いについて、作文に次のようにつづっている。

日本語を勉強して二年になるが、日本人の友達がまだいない。いつも日本人の留学生と親友になって相互学習したいと思っている。これまでもいろいろな交流会に参加してきたが、不思議なことに、なかなか日本人と親しい友達になれなかった。どうしてなのだろうか。

交流会は盛り上がり、お互いに連絡先も交換して、相手の日本人も楽しそうに見えた。それなのに、どうして後で連絡すると、態度が急に冷たくなるのか。私が何か失礼なことをしてしまったのか。それとも、元々私のことが嫌いで友達になりたくないのか。留学生の態度の変化は私には理解できず、すごく悩んだ。

中国では距離感から美しさが生まれるという言葉がよく言われる。たとえば、山の景色を見る時、遠くから見れば、何と美しいことかと感じるが、本当に山に登って近くで見たら、死んだ木や汚いところもあってそんなに素敵ではない。人との付き合いも同じだ。日本人はそう思わないのだろうか。

そう言えば、確かに日本人は、会う時、または別れる時、ただお辞儀をして挨拶する。抱き合ったり体をなでたりする姿はなかなか見られない。それは日本人が外国人と付き合う時だけではなく、日本人の中にある暗黙のルールである。いつも情熱的な中国人と違って、彼らは微妙な距離感を保って慎重に付き合っている。

中国も日本も協調性を重んじる社会であるが、日本人は微妙な距離感を保つことを選ぶ。自分のある部分を隠して、最もよいところを人に見せるのに対して、中国人は何も隠さない。「私たちは親友よね。なぜその秘密を私に言ってくれないの。私のことを信頼していないの」。こういう思いを持っている中国人が結構多いと思う。特に中国の大学生の寮では、プライバシーを侵すことが起こりがちだ。侵された人は寮の平和な雰囲気を守るために、我慢するしかない。「親友」は元々気楽な存在なのに、重くなる。さらに、侵された人はまた侵す人になって、悪循環が続いていく。

交友関係において被害者であるとともに加害者である私は、改めて日本人と付き合う時の微妙な距離感を考えてみた。それは冷たいというより、むしろ日本人がお互いに尊重し合うことを大事にしていると言うほうがふさわしい。距離感があるからこそ、安全性が感じられる。近すぎる関係は両方に悪影響を与える。それを避けるために、お互いに尊敬する気持ちを持って付き合ったほうが楽ではないかと、今の私はこう思うようになった。