https://news.yahoo.co.jp/byline/akedotakahiro/20170716-00073358/

地域を挑発し、行政の間隙に付け込むデモ

7月16日日曜日、夏休み前の三連休の中日。川崎市中原区の武蔵小杉駅付近で、これまで川崎でヘイトスピーチを伴うデモを繰り返してきた団体のメンバーらが、またしてもデモを行った。筆者はこの5年ほどそれなりの数のヘイトデモを見てきたが、今回のデモはその中でもかなり異様なものだった。

もともとこのデモはもう少し南にある中原平和公園を出発予定地としており、公園周辺には朝から数百人の市民がデモに反対の意思を示すために集まっていた。付近には大勢の警察官も配置され、デモを先導する警察指揮車からは「この後付近をデモ隊が通過する」旨も告知されていた。筆者を含むその場にいたほとんどの人は、当然その場所からデモが出発するものだと思っていた。

しかし実際には、デモ参加者は公園から500mほど武蔵小杉駅方面に進んだ交差点付近に観光バスで乗り付け、そこからゲリラ的にデモを開始した。その情報が伝わると、公園付近に集まっていた市民の多くは(そしてその場でスタンバイしていた数百人の警察官も)、その500mの距離を走って移動し、出発地点からすでに1ブロックほど進んでいたデモ隊に追いついた。すぐに激しい抗議が行われ、警察は混乱を避けるためだろう、デモ参加者を次々とバスに誘導し、参加者全員を乗せたことを確認するとすぐにバスは走り去った。筆者がデモ隊に追いついてから、たった数分の出来事だった。

おそらく、普段とくにヘイトスピーチの問題に関心をもたない人にとっては、「ああ、またか」というくらいのニュースだろう。いや、この問題にある程度関心がある人にとってさえ、その特徴をつかみにくいニュースかもしれない。しかしはっきりしていることは、今回のデモが川崎という地域を挑発し、その行政の間隙に付け込む、きわめて悪質なデモだったということである。

この一年、川崎で積み重ねられてきたこと

冒頭で、今回のデモに対して出発地点付近に数百人の市民が抗議のために集まった、と書いた。この5年ほどヘイトデモに対する現場での抗議活動がある程度当たり前になってきたとはいえ、それでも日本で数百人規模の抗議者がこうした形で集まるというのは、なかなかあることではない。ではなぜ、今回のデモに対してこれほど多くの人が強い抗議の意思を示したのか。

直接的な経緯は、昨年6月に遡る。2016年6月3日、ヘイトスピーチ解消法(本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律)が施行された。しかし川崎市では、解消法の施行以前から、6月5日にヘイトデモが行われることが予告されていた。その主催者は、それに先立って1月に行われた同様のデモでも「(在日コリアンを)1匹残らずたたき出してやる」「真綿で首をしめてやる。1人残らず日本から出て行くまで」などのヘイトスピーチを繰り返していた人物で(なお彼はこの発言で法務省から人権侵害の勧告を受けている)、デモの名称も1月と同じ「日本浄化デモ」だった。

昨年6月のデモは当初川崎区の在日コリアン集住地区付近での実施が予定されていたが、解消法の成立を受けて川崎市が申請された公園の使用許可を出さず、また横浜地裁川崎支部が在日コリアン集住地域にある社会福祉法人の申し立てを受けて同法人が運営する施設付近でのデモ実施を禁じる仮処分を出したため、結果として今回のデモの出発予定地点とされていたのと同じ、中原平和公園付近からの出発に変更された。

当日、公園付近には今回のデモ同様1000人規模の市民が抗議のために集まり、そこに警察側からの説得も加わって、結局デモは数メートル進んだだけで中止となった。これは、当日集まった市民の力はもちろん、それに先立つ当初の公園使用不許可に至る関係者の努力、集住地域でのデモ禁止の仮処分に至る法曹関係者の努力、そして当日状況を見極めて説得に動いた現場の警察の判断も含め、本当に多くの人たちの努力によるものだった。

「昨年の川崎デモをもう一度やる」

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