金印が大事なモノなら、なんで志賀島なんかで見つかるんだ?
その時代はそもそも日本に統一した国家はなかったから、金印があったから日本を属国にしたアル、とほざく支那の言い分は乱暴なんだけれども。

当時の九州のローカルの大集落が支那から金印をもらったなら、九州の内地の遺跡の中から見つかるもんだろうに。
なんで志賀島なんかで、まるで「こんなのいらん。ポィ!」って捨てられてたような状況で、田んぼの中から見つかるんだろう?