(続き)

 「国らしい国」であることは国内的に重要であろうが、外交的にはより大切なことだ。第一、相手となる国があるわけだから。米朝合意を破棄し核開発を続け、国際社会からの批判にも関わらず弾道ミサイル発射を続ける北朝鮮のようであっては、当然いけない。

 国際社会での「国らしい国」「まともな国」とは、国と国との約束や決まり事を誠実に守る国を意味する。まともな外交ができてこそ、「国らしい国」であり得るのだ。

 特に、慰安婦問題など「歴史」にからむ問題で韓国から約束をほごにされ続けてきた日本人としては、文在寅政権の韓国にこそ、外交面での「国らしさ」を期待したいところだ。

韓国らしい外交=日本だけは例外

 残念なことに、日本を相手にした現在の韓国は「国らしい国」と言える状態ではない。慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」を政府間で確認した日韓合意を、文氏自らが「韓国国民の大多数が受け入れられない現実を認め、両国が共に努力し、賢く解決せねばならない」と安倍晋三首相に伝えている。

 日韓合意で韓国側が「適切に解決されるよう努力する」と約束したソウルの日本大使館前の慰安婦像は現在も撤去されていない。

 それどころか、合意の精神に反し、釜山(プサン)の日本総領事館近くにも慰安婦像が設置され、何と今では行政当局に“保護”されている。何度も繰り返してきたが、いずれも外国公館前での侮辱行為を禁じたウィーン条約に反している。

 こうした約束破りや国際条約違反を「国らしい国」が“まともな国”として平然と続けているのだ。それどころじゃない。「日本軍『慰安婦』被害者記念日」を制定するやら、「『慰安婦』被害者研究所」を設置するやら、「歴史館」の設立を通じ慰安婦問題の調査・研究事業を体系化するやら。

 すべて文氏が「国政運営5カ年計画」で発表したもので、日本を刺激するには余りある。

 康京和(カン・ギョンファ)外相に至っては、韓国紙の中央日報のインタビューで、日本大使館前の慰安婦像について「日本が移転を求めるほど、像はさらに作られる」とまで豪語している。国際法違反であるにもかかわらず、国連職員を務めた韓国が誇る“国際通”であるはずの外相が現にそう断言しているのだ。

 こうした「日本が相手なら何でもあり」といった姿勢は韓国ではおなじみのものだ。「国らしい国」の外交姿勢ではなく、「韓国らしい韓国の対日姿勢」と言える。

頼みはやはり甘えられる日本か

 ただ、大統領就任の前日まで、あれほど日韓合意の見直しや再交渉を訴えていた文氏は、就任後は「合意の再交渉」に公式には一切言及していない。文氏としては、これでも日本に対しては越えられない一線を越えずに踏みとどまっているわけだ。

 安倍首相との初の首脳会談で双方が定期的に訪問する「シャトル外交」の再開で合意するなど、“順調なスタート”を切った日本との関係を、みすみす悪化させたくはないとの意図がうかがえる。背景には、好転せず不安要素を抱える韓国経済の回復に対する日本への期待感があるようだ。

 歴史問題と経済・安保の問題を切り離すという「対日ツートラック外交」を文氏は公言した通り、国益のために実行しようとしている。このような、日本を歴史問題で批判しつつ、「経済的な協力はしていただく」式の一種の甘えのような対日外交も、おなじみの韓国独特のスタイル。「またか」との思いだ。

 だが、身勝手であろうが、今の韓国は経済パートナーとしての日本との関係改善も切望している。日本からの観光客の減少にも頭を痛めている。「経済の低迷に悩む韓国の事情を分かってくれのは日本」といった甘えが根底にあるようだ。

 韓国から見れば日本ほど「お人よしな国」はなく、都合のいい国なのだろう。これまでの日本側の甘い対韓姿勢が、韓国にそのように勘違いさせてきた面も否定できない。

再交渉のカードは温存か

 文氏はしばらく、日韓合意を棚上げ、塩漬けにし、引き続き再交渉は口にせず、現実路線をとるものとみられる。ただし、経済がらみの問題をめぐって日本が韓国側の要望に簡単に応じない場合、韓国を満足させられない場合は、再交渉を持ち出してくる可能性はある。

 先述のように韓国では民の声が半端でなく強い。任期中に求心力が衰えた際、国民の支持を集めるべく「反日カード」として再交渉を求めることも、当然、考えておくべきだ。

 現に、保革を問わず韓国の歴代政権が歴史問題での「反日カード」を国内向けに利用してきた前例もある。日本はそのたびに何度も、その身勝手さに付き合わされてきたわけだから。

(おわり)