>>899-900
バカウヨって本当に白痴級の猿なのな・・・。
せめて最低限の教養位身につけてから天下国家を語れよ、マジで・・・。


占領前文書焼却を指示…元法相 奥野誠亮さん
http://www.yomiuri.co.jp/matome/sengo70/20150810-OYT8T50122.html

>もう一つ決めたことは、公文書の焼却だ。ポツダム宣言は「戦犯の処罰」を書いていて、戦犯問題が起きるから、
>戦犯にかかわるような文書は全部焼いちまえ、となったんだ。会議では私が「証拠にされるような公文書は全部焼か
>せてしまおう」と言った。犯罪人を出さないためにね。会議を終え、公文書焼却の指令書を書いた。



>私もご承知のとおり終戦直後、資料は焼いてしまえという方針に従って焼きました。これはわれわれが閣議で決めたことですから、
>われわれの共同責任のわけですが、あの当時、当然アメリカだけが来て今日のような態度でやってくれるということがわかっておれば問題はなかった。なにもそれほど用心する必要はない。
>その当時の予想としては交戦国のいずれが来るか、全然わかっていなかった。おそらく中国、アメリカ、ソ連と皆来るであろう。もっともソ連も満州でやったようなあんなむちゃをやるとは、
>当時は思わなかった。ソ連とは最近まで、条約によって戦争はなかった。逆に中国は満州事変、支那事変で先方において恨みを抱いておることが相当あって、
>中国が来たら相当の仕返しをするだろうということを一番懸念していた。そういうことが一番の恐れであった。
>そういうわけで資料は全部焼くという大方針が決まったわけであるが、閣僚各自、自分の持っているものを焼こう。
>軍の関係あるいは各省関係の書類についても同様の措置を採ろうというので、それぞれ所管大臣から命令を出して、できるだけ早く焼いてしまえと通達したわけですから、
>残ったものはあまりないであろうと思う。
広瀬豊作氏(終戦時の大蔵大臣)発言 大蔵省大臣官房調査企画課編 『聞書戦時財政金融史』 大蔵財務協会、1978年 P140-141


一、昭和20年(引用者註:1945年)8月14日、日本政府は閣議でポツダム宣言受諾を決定するとともに重要機密文書の焼却を決定した。
これに伴い陸軍は各部隊、官衙、学校などに機密文書の焼却を指令した。陸軍省、参謀本部など陸軍中枢機関の所在した市ヶ谷台では
数日にわたり大量の秘密文書が焼却された。
溝部竜 『史料紹介 市ヶ谷台史料』  防衛省戦史研究所 「戦史研究年報」 第1号(1998年)収録