今月23日、慰安婦被害女性がまた一人亡くなった。金君子(キム・クンジャ)さんの他界で旧日本軍慰安婦生存者は37人になった。「慰安婦再交渉」問題をめぐり、韓日政府の間には緊張感が漂っている。慰安婦問題を国際的に公論化しても有利ではなさそうな日本が強情に主張を変えない理由は、米国の支持があると信じているためだ。

意外にも、20世紀に米国は、韓日関係において決定的瞬間に2度、日本の肩を持った。その第一は1905年7月29日に締結された桂・タフト密約(桂・タフト協定)だ。大韓帝国とフィリピンの植民支配を日本とアメリカが互いに認め合うことを秘密裏に約束した。

日露戦争が同年9月、日本の勝利で終わる直前に交わされた。これは李承晩(イ・スンマン)初代大統領が米国で独立運動していた時期に米国を圧迫した要素でもある。1882年に朝鮮と米国の間で締結された朝米守護通商条約に米国が違反していたためだ。

◆サンフランシスコ条約は米国の第二の裏切り

第二の裏切りは第2次世界大戦後、日本の戦争賠償問題を協議するサンフランシスコ平和条約(1951)でだ。韓国にとって決して平和だとは言えない「平和条約」だった。当初、高額の賠償金を含めて強力な措置を講じる予定だった米国は、日本の責任問題に対してほぼ全面的に沈黙する姿勢を見せた。

中国共産党に対して蒋介石軍が劣勢となり、台湾に追われたことを受けて米ソ冷戦が始まったためだ。日本に力をつけさせてアジアの共産化を防ぐ方向に戦略を修正したのだ。

ソウル大の李泰鎮(イ・テジン)名誉教授(74)はこのような歴史の「スケープゴート」だった慰安婦女性が今でも代理戦をしていると見ている。日本侵略の不法性問題を正面から取り扱えない中で、慰安婦問題がこれその代わりをしているというのだ。慰安婦問題は人権・女性問題なので、世界の人々から普遍的な支持を受けている。だがそれにも限界がある。

李教授は「人権問題を越えて植民支配の強制性に対する歴史認識を確実にすることが根源的解決法」と述べた。

もともと朝鮮時代の政治史を専攻していた李教授が日本侵略の不法性問題に専攻を変えたのは1992年のことだ。同年5月、ソウル大奎章閣(キュジャンガク)に所蔵されていた大韓帝国公文書整理事業を主管している時に、日帝の統監部職員が純宗(スンジョン)皇帝の詔勅・法令などの決裁過程で、皇帝の署名を偽造して処理した文書60点余りを発見した。

すでに25年が過ぎたその瞬間から今まで、李教授の「強制併合無効化」闘争は続いている。

日本侵略の正体を暴こうと出発した研究は、大韓帝国に対するさげすみで一貫した日本の歴史わい曲を訂正する方向に進んだ。1995年『日本の大韓帝国強占』から始まり、2000年『高宗時代の再照明』を出版して大きな一歩を残した。昨年出した『日本の韓国併合強制研究』、最近出版した『終わっていない歴史−植民支配清算のための歴史認識』等がそのような作業の一環だ。

最近もロシア・フランス・日本などで学んだ後輩の学者と定期的に勉強会を開き、文書の読解や討論を続けている。

今も重みのある研究書を出す理由を尋ねると、李教授は「今後研究できる時間もそれほど多く残されていないように思われて、焦る気持ちもある」とし「2015年12月28日、韓日両国政府間で交わされた『慰安婦合意』のような良くない事例が出てくる状況を改善するために微力ながら尽くしたい」と述べた。

http://japanese.joins.com/article/839/231839.html
http://japanese.joins.com/article/840/231840.html
http://japanese.joins.com/article/840/231841.html

>>2以降に続く)