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■植民地支配の遺産、「朝鮮籍」

 朝鮮籍は20世紀にわが民族が負った日帝強制占領期(植民地時代)の苦痛に満ちた遺産だ。朝鮮籍は、植民地解放後に日本政府が日本に残った朝鮮半島出身者に一律で付与した外国人登録上の表示だ。国籍というよりも、一種の地域的記号だ。

 日本政府は1945年の選挙法改定で在日同胞の参政権を剥奪したのに続き、1947年5月に公布した外国人登録令によって、在日同胞を外国人として登録させ、便宜上「朝鮮人」という意味で朝鮮籍を表記した。

 これは南北政府樹立(1948年8月15日・9月9日)以前のことであり、当時の在日たちはみな朝鮮籍に登録された。したがって、一部で誤解するように「朝鮮籍=北朝鮮国籍」を意味するものではない。

 さらに、日本政府は第2次世界大戦の連合国と締結し、1952年4月に発効されたサンフランシスコ講和条約によって、在日同胞の国籍を一方的に剥奪して無国籍者にした。

 その後行われた1966年1月の日韓法的地位協定の締結で、「韓国」国籍者に限り協定永住権申請を受けつけ安定的な法的地位を与えたように見えるが、議論は続いた。

 朝鮮籍出身で在日問題を研究する聖公会大学東アジア研究所の趙慶喜(チョ・キョンヒ)HK教授は「韓国政府は事実上“朝鮮籍”を“北朝鮮国籍”とみなし、慣習的に国籍変更を要求してきた」とし、

 「朝鮮籍をめぐる問題は当事者だけの問題ではなく、日本の植民地支配と南北分断に規定された在日同胞の歴史的・現在的位置を示す進行形の問題」だと話した。

 共に民主党のカン・チャンイル議員室(済州市甲)が外交部を通じて確保した資料によると、2015年末基準で在日同胞のうち韓国国籍は約45万7700人、朝鮮籍は約3万3900人だ。

 朝鮮籍の在日同胞が韓国国籍を選択しない理由は様々だ。北朝鮮と近い在日本朝鮮人総聯合会(総聯)に直接関連した人もいれば、親戚や家族のうち、かつて北朝鮮帰国事業によって渡り、北朝鮮に親戚がいるという理由で朝鮮籍を維持する同胞もいる。

 朝鮮総聯とは関係なく、統一された祖国の国民になりたいという理由で朝鮮籍を維持する場合もある。在日3世の世代にもなると、信念よりも自尊心の問題になることもある。

 金泰植研究員は「(韓国国籍を選ぶ時)心の葛藤が多かった。朝鮮籍を変更せず韓国に来られない友達にすまない気持ちが大きかった」とし、「父は今も朝鮮籍だ。思想の問題ではなく、ただ変えたくないのだ。自尊心の問題のようだ」と話した。

 民族問題研究所の金英丸(キム・ヨンファン)対外協力チーム長は「南も北も植民地以前の自分の祖国だという性向もあり、北朝鮮に家族がいる場合は韓国国籍に変えるとその方たちと連絡が途絶えることになるという現実的な理由がある。政治的な信念を持っていたり、変えたくなくて変えない場合もある」と話した。

■保守政権以降、閉ざされた故郷への道

 朝鮮籍の在日同胞が韓国に入国するには、政府が発行した旅行証明書を持たなければならない。

 南北交流協力に関する法律第10条(外国に居住する同胞の出入保障)は「外国国籍を保有せず、大韓民国の旅券を所持しない外国居住同胞が南韓(韓国)を往来するためには、旅券法第14条第1項による旅行証明書を所持しなければならない」とされている。

 韓国国籍を持たない在外同胞の入国を保障する趣旨の制度であるが、朝鮮籍の在日同胞には入国を何度も遮るネックとなった。

 実際に朝鮮籍の在日同胞の旅行証明書申請と発給件数は、李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クネ)政権を経て、急激に減っている。韓国政府が朝鮮籍の在日同胞を北朝鮮国籍者扱いし、入国を拒否する事例が増えると、初めから韓国訪問をあきらめる傾向もはっきりした。

 カン・チャンイル議員室が昨年外交部から受け取った国政監査資料によると、盧武鉉政権と李明博・朴槿恵政権の朝鮮籍在日同胞の旅行証明書申請・発給件数には、明確な差がある。

 盧武鉉政権時代の2005年には3329件の申請に3358件が発給され、100.8%(2004年に申請し2005年に発給された件数を含む)の発給率を示し、李明博政権初年度の2008年までは2033件の申請に2030件が発給され、99.8%の発給率を示した。申請さえすればほぼ全て発給された。

 だが、李明博政権が盧武鉉政権の政策を本格的に覆し始めた2009年には、申請件数1497件のうち発給件数は1218件にとどまった。2010年には申請件数が401件で、前年度に比べて4分の1近く減り、発給件数も176件(43.8%)と大幅に減った。

(続く)