>>320
まずはペリー艦隊訪日を決めるまでアメリカでは日本と国交を結ぶべきかどうかで国論を二分する大論争になってた事実を知りましょうねニダ。

当時のアメリカは今と違い世界の中心ヨーロッパから離れた辺境の地にある中堅国家にすぎなかった、
こんなアメリカをまともに相手してくれる大国もほとんどなく
国際舞台に打って出るために何とか規模の大きな国と国交を結ばなくてはと相手に選ばれたのが太平洋をはさんだ隣国日本。

だがアメリカ国内では鎖国してる異文明の国と国交結ぼうなんて上手くいきっこないと反対する声も大きく世論は真っ二つに。
最終的には訪日派が勝ちアメリカの国家予算のかなりを費やして艦隊を派遣することが決定、
日本と国交を結ぶべし派の中心人物だったペリーが司令に選ばれた。

ペリーからすれば日本との国交樹立がなされなければ自分は失脚、アメリカも国際的にどんどん孤立していってしまうという
自分とアメリカの将来をかけた一大プロジェクトだったのです、訪日は。

ついでに書くが長崎出島を訪れた西洋人達の情報を基に書かれた日本事情紹介本がアメリカで評判になっており
ペリーは日本の国情をかなり正確に把握していたため日本と朝鮮を間違えるなんて絶対あり得ません、そもそも目的地が日本だったのだしニダ。