宮本大丞朝鮮理事始末 三/2 理事官講習官対話書/1 明治9年8月5日から明治9年8月11日)より抜粋して現代語読みに。人称、括弧は筆者。

講修官との対話
8月7日

宮本「第一に、二ヶ所の港口を開く事に付き、お尋ねあり。
 右は元より二十ヶ月との期限もあれば、拙者はその事をご相談致すべき任は受けおらざるなり。もっとも、我が政府にて新開港を急がざるの趣意は、貴国地理も未だ分明ならず。ゆえに先ず大船を入るべき様の港を測量し、
貿易便利の所を見立てたる上にあらでは確定し難ければ、これ測量を急ぐ所以なり。依りて大丘、西浦、珍島等各所へ行商することを御談に及びおけり。
もし右にて便利なれば別に差し急いで港を開くにも及ばずか。しかし御約束は致しがたし。多く港口を開いて益無きよりはむしろ釜山一ヶ所にても繁盛なる方しかるべきなり。」

趙「御もっともなり。我が国にては二ヶ所の開港は第一の事かと存じおれり。依りてあらかじめ承りおかねばまたそれぞれの手当て方の都合もあればなり。我が国にては何処が宜しきかは知らず。このたび何の御話もこれ無きに付き、
怪しく存じてお尋ねに及びたるなり。なるほど釜山一ヶ所にても両国人民貿易のため便利なれば当分足れりとの御言葉はごもっともの事なり。」

(略)

趙「新に開港の儀は我が国にて聊かも嫌うにあらず。しかし、陸地にて行商の事は甚だ厭うところなり。とくと御測量の上、御開港くだされたし。貴官の御見込みにては、すなわち今余計の港を開くより陸地の貿易便利なるべしとの事なれども、
我が国にては開港は聊かも苦しからず。ゆえに第一に開港場の事をお尋ね申したるなり。」

宮本「しからば実地測量のため内地を通行する事は苦しからずや。」

趙「いよいよ御見立ての上、御上陸なられることは差支え無し。」


(゚Д゚) 朝鮮の開港は明治9年だよ?でも2か所だけ、まだまだ鎖国中。