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【第十次侵略=1014年(長和三年)】 高麗の賊が攻め寄せ、大宰府が討伐する。
【第十一次侵略=1019年(寛仁三年)】
50余隻の船団が来襲し、壱岐、対馬、筑前糸島、志摩・早良諸郡を荒らして物資を
奪い、家屋を焼き払い、老人子供は殺して丈夫な者だけを拉致。ついに博多に迫る。
日本側は、大宰権使=藤原隆家・大蔵種材や在地の豪族らが応戦撃退。
逃げる敵を追って船三十艘で追撃。ついに追い払った。十数日間に渡る戦闘だった。刀伊の侵略。
【第十二次侵略=1097年(承徳元年)】
異賊船100隻が松浦・筑前に攻め寄せる。大宰府官兵・九州軍士大いに守り、賊船
を撃破し賊徒数万を海没させた。元寇に至る外国からの侵略事件の中でも最大規模のもの。
【第十三次侵略=1274年10月(文永11年)】
忻都、金方慶らに率いられた、高麗人・モンゴル人数万人が朝鮮の月浦(現在の馬山)を出発。
10月5日に対馬を、10月14日には壱岐を襲撃し、平戸鷹島の松浦党の本拠を全滅させた。
【第十四次侵略=1281年(弘安4年)】
高麗軍を主力とした東路軍四万と、旧南宋軍を主力とした江南軍十万、計14万の軍が日本を侵略。