7月亡くなった中国の民主化運動の象徴的な存在、劉暁波氏の妻の劉霞さんが、中国当局によって外部との接触が断たれ所在が確認できなくなっているとして、香港の市民団体が劉霞さんのポスターを街角に貼る抗議活動を行いました。

香港の繁華街で12日行われた抗議活動には、中国の民主化を求める市民団体のメンバーなどおよそ15人が参加しました。

はじめに市民団体の幹部が演説を行い、劉暁波氏が亡くなってから1か月になるが、妻の劉霞さんは中国当局の監視下におかれ、外部との接触が断たれた状態で所在が確認できなくなっていると非難しました。

このあと参加者たちは「劉霞さんを自由にしろ」などとシュプレヒコールをあげながら大通りでデモ行進を行い、尋ね人として劉霞さんの似顔絵や特徴などがかかれたポスターを沿道の店舗のシャッターなどに次々と貼り付けていきました。

抗議活動を行った市民団体の李卓人さんは「中国当局が劉霞さんに外部との接触を認めていないのは明らかだ。一刻も早い解放を要求する」と話していました。

劉霞さんは、当局によって外部との接触が断たれる中、体調の悪化が懸念されているということで、市民団体はインターネットも通じて、速やかな解放を呼びかけていきたいとしています。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170813/k10011098171000.html


<劉暁波氏死去1カ月>妻の劉霞さん軟禁続く

 中国の民主活動家でノーベル平和賞受賞者の劉暁波(りゅう・ぎょうは)氏が亡くなって13日で1カ月。出国を希望していた妻の劉霞(りゅうか)さんは今も外部との接触ができない軟禁状態が続き、友人らは国内外で解放を訴えている。

 中国の習近平指導部は国内の追悼の動きを厳しく抑え込み、インターネットを中心に言論統制をさらに強化。秋の中国共産党大会を前に、一党独裁体制を脅かす価値観の徹底排除を図っている。

 「幸せに暮らしてほしい」。7月13日、劉氏が息を引き取る直前に霞さんへ言い残した言葉だ。

 劉氏夫妻の友人であり、反体制作家として迫害を受けてきた中国人作家、廖亦武(りょう・えきぶ)氏(59)=ドイツ在住=は毎日新聞の取材に「劉氏が望んだ霞さんの自由が実現するまで、我々は闘う」と述べた。

 劉氏の死後から2日後の7月15日、霞さんは他の親族と告別式に出席し、遼寧省大連市の海に劉氏の遺骨をまいた。当局がその日公開した散骨の映像を最後に、霞さんの姿は消えた。

 支援者によると、霞さんは散骨後、当局に「旅行」と称して雲南省に滞在させられた。2週間ほどして北京に戻ったが、外部との接触や帰宅は許されず、友人の家に身を寄せているとの情報もある。

 中国外務省は劉氏の死後、霞さんの処遇について「市民としての権利は守られる」と説明したが、実際は軟禁状態のままだ。中国は党大会を控えた敏感な時期で、霞さんが出国できるかは不透明だ。

 「私は形のある監獄の中で服役しているが、君は形のない心の監獄で私を待ってくれている」(劉氏)。劉氏がかつて霞さんに贈った言葉だ。詩人で写真家の霞さんは1996年、劉氏と結婚。

 2010年に獄中の劉氏がノーベル平和賞を受賞すると霞さんは北京の自宅で軟禁状態となった。支援者らによると抑うつ症と心臓病が深刻になり、一人きりの自宅で意識を失い倒れることもあった。

 夫妻と30年以上の親交がある廖氏は「数年前から体調に不安を持つ霞さんから出国の相談を受けていた」と明かした。廖氏は劉氏とともに、89年6月の天安門事件の後、弾圧された。廖氏は11年に国外脱出した。

 廖氏によると、霞さんは月1回程度、劉氏のいる遼寧省瀋陽市の刑務所で面会が許されていたが、会話内容を制限され自らの病状を明かせなかったという。

 霞さんは廖氏ら友人の励ましを受けて当局と掛け合い、今年3月の面会で劉氏に初めて自分の病状を伝え「一緒に出国したい」と告げた。国内に残ることを信条としていた劉氏は「君を愛しているから」と同意したという。

https://news.goo.ne.jp/article/mainichi/world/mainichi-20170813k0000m030140000c.html

>>2以降に続く)