(いまさら)『攻殻機動隊/GHOST IN THE SHELL』1995年/日本/83分
 
ガッチガチSF。『パトレイバー劇場版1〜2』と並んで珍しく、まあ一般教養と呼べないこともない押井守。
個人を成立させるのは個別記憶の累積と集積であって、個人の範囲や境界もまた記憶によって規定されている。
おもに『ヒトの記憶容量』によって。だとすれば、コンピュータとネットの進化による『記憶の外部化』は
個人の拡張と、(かなりの幸運に恵まれれば)進化を促すかも知れない、と考えることに論理的破綻は見当たらない。
まあ。コンピュータとネットにそのくらいの夢を託しても、どこからも苦情が出ない時代があったのだな。
 
従って、そんな環境と条件下においてヒトの個人性を規定するのはアクセスする『ハードの性能』であったりする。
で、中には「自分は記憶容量によって個人であることを『規定』されてんじゃなくて『制限』されてんじゃないだろうか?」
なんて、やや不穏当で欲の深いこと考え始める個体もいるわけだ。だからっつって仕事中に『結婚』しなくてもよさそうなもんだが。
その結果、なんか『神っぽいモノ』になったから本人的にはよかったのかも知れないけど、別の観点からするとあなた、
『個人のクラウド化』っつか『無制限の公共インフラ化』してるよね。いや幸せのカタチなんて個人の専権事項だけど。
だからなのか、原作でも映画でもあなた、自己〜自我っつか人間的欲望の維持にもんの凄い自信がある、気持ちいいほどの
エゴイストとして描かれてるよね。つかあなた、要するに好奇心でさくっと『神になってみた』んだよね?w
 
まあそもそも、あなたの場合は元々「最高の義体に乗れるから公安9課にいる」と言うくらい、自己実現に貪欲なんだろうけど。
だから自己のクラウド化もその延長なわけなんだろうけど、あの好奇心と欲望を駆動してるのは何なんだろう?
やはり「ヒトはどこまでヒトでいられるか?」を知りたかったのかねえ? まるでコーナーギリまで攻めないと気が済まない
バイク乗りみたいにw ところで。神っぽいモノになっても、ヒトの条件である『揺らぎ』や『性欲』は維持できたかね?w
 
ああ。誤解されないように言っとくけど、俺は今でもあなたが大好きですからね?w 常に冷ややかな声とか笑わないとことかw
いつまでたっても義体に馴染まないとことか。何に対しても理屈っぽくて皮肉っぽいとことかw あと音楽とかw
 
※地雷率 / 観る時の気分によって名作と極大の間を行ったり来たり