(続き)

理由を訊くと、「安倍さん(現首相)が子どもを育てやすい社会を作ると言った時、田中議員が『種なしカボチャが何を言うやら……』と述べたという記事を週刊誌で読んだ記憶がある。本当にそう言ったのなら、今、その発言をどう考えるか。また、都議会のヤジについてどう思うかを聞く」と答えた。

動画サイトのユーチューブで、ヤジが飛ぶシーンを見たと話す女学生の意見もユニークだった。

「ひどいヤジだと思いますが、質問は女性都議が自分で用意したのでしょうか。棒読みで、気持ちが伝わってこなかった。議員の質問がもっと真剣なものだったら、ヤジも飛ばしにくかったと思う」というのだ。なるほどと感心した。

今年の授業でも、トランプ、ヒラリーの米大統領候補に日本の学生記者として質問したり、舛添要一都知事(当時)に進退を問うたりしたが、取材方法も質問の筋も悪くなかった。

ヘイトスピーチ対策法ができた時の授業では、「在日韓国・朝鮮人は死ね!」「日本から出ていけ!」とかいった暴言を認める意見はなかったが、大半の学生が「なぜ、そうした発言をするのか知りたい」と述べていた。

いわゆるヘイトスピーチを繰り返すデモ隊とアンチデモ隊の双方の参加者に、それぞれ考えを語ってもらい、記事にするとも書いていた。誰にでも考えつく取材案だが、どの新聞もまだ試みていないのも事実だ。

ジャーナリストとブンヤ

朝日新聞綱領が定める「不偏不党」「公正中正」に縛られて、本当に書きたいことが書けないと、先輩は社を去った。その綱領を改めて読み、肩透かしを食った。

「真実を公正敏速に報道し、評論は進歩的精神を持してその中正を期す」(第3項)とはあっても、綱領に「事実」という語は一切なかったからだ。

『事実とは何か』といった書物で説かれることは、「事実」をいくら重ねても「真実」は見えないということに尽きる。「真実や「本質」」は「事実」を超えたところに在るという。

日本には、社会や歴史の「真実」を読者に伝えようとするいわゆるジャーナリストと、「事実」をできるだけ正確に伝えたいと願っているブンヤと、2種類の記者がいる。思うに、辞めた先輩もその1人だが、朝日には前者型が多い。

朝日新聞綱領が「事実」の語を避け、「真実」という語を使っていることには、恐らく深い意味がある。私は遺憾ながら、それを解く事実を持ち合わせていない。

永栄 潔
元朝日新聞記者
1947年千葉市生まれ。慶応大学経済学部卒。朝日新聞社入社後、経済部を経て「週刊朝日」「月刊Asahi」「論座」各副編集長、「週刊20世紀」編集長などを歴任。著書『ブンヤ暮らし三十六年』(草思社)で新潮ドキュメント賞受賞。

(おわり)