>>1の続き)

「有縁」があっての「無縁」であり、現代のように、「有縁」の関係が失われた「無縁」ではない。

この意味で、中国の「無縁」は、双方の性格を帯びた過渡的な状態にある。やむなく絶たれた縁もあれば、地縁血縁から逃れ、新たな縁を求めてさまよう人々も少なくない。

農民組織に支えられて誕生した共産党は、有縁社会の地殻変動によって、その土台を揺さぶられている。習近平は、「中国の夢=中華民族の偉大な復興」というキャッチフレーズを掲げ、中華民族としての新たな「縁」によって、無縁社会の再構築を図ろうとしている。

孫文は、家を国家の基礎とする儒教思想を援用し、宗族社会=有縁の延長として中華民族が団結する「振興中華」を描いた。毛沢東は有縁社会を解体し、絶対的な指導者が人民一人一人と直接結びつく集権体制、つまり「超有縁社会」を目指した。

習近平の「中国の夢」は孫文の「振興中華」に近いが、土台となる有縁社会を欠いており、かつてないチャレンジとなる。

実は、こうした中国の農村社会を観察するにあたり、有益なのが、日本で失われたむら社会の記憶だ。柳田国男、きだみのるを通じて、中国農村の深層を探ることで、日本の無縁社会を見直すきっかけになるのではないか。

汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)

(おわり)