片山和之著『対中外交の蹉跌―上海と日本人外交官』は、現役の上海総領事で、5度の中国勤務をはじめ米国、ベルギーなどで外交官として勤務したベテラン外交官による渾身の力作。戦前戦後の日中関係と今後の展望が描かれている。

戦前の上海は、総領事館とともに公使館・大使館事務所が設置され、日本の対中外交上の一大拠点であった。国際協調外交を志向した日本人外交官は、なぜ中国との紛争を外交的に解決することができなかったのか。

陸軍に代表される武官エリートの暴走を止められず、日本の有史以来最大の惨禍を招いてしまったのか。上海で活躍した代表的な日本人外交官の足跡を丹念にたどり、戦前の対中外交の失敗の背景と要因の分析は、今後の日中関係を考える上での教訓となる。

◆「軍刀」の前に沈黙を余儀なくされた

本書は、上海で活躍した松岡洋右、有田八郎、重光葵ら日本人外交官11人の足跡をたどり、「軍刀の前に沈黙を余儀なくされたのが政治家及び外交官の現実であった」と分析する。

外務省と陸軍の総合力の差、外務省内部で積極的な大陸政策を目指す勢力の伸長、対中強硬策を支持する世論などを“外交無力”の要因として指摘する。陸軍は「支那通」を日本のあらゆる組織の中で最も多く養成し、中国大陸に外務省が及びもつかない広範な情報網をめぐらしたという。

中国との関係では、辛亥革命や民族運動に共感し、アジアの友邦として共に立ち上がろうとする気運が日本側の一部にあった。

しかし、日露戦争の勝利により得た満州における「特殊権益」を保護しようとする機運の中で、近代化に遅れ、停滞と混乱、内戦に明け暮れる中国に対する侮蔑意識と、日貨排斥や抗日・排日運動 の「暴慢無礼」な行動に対して、

武力をもって日本の考える「東亜新秩序」建設に協力させるしかないとの考えが官民を問わず広く覆った。その結果、中国で高まりつつあった民族統一と半植民地打破という歴史の大きな流れの方向を見誤ってしまい、それとの「協調」ではなく「対決」の道を選択してしまった。

最終的には中国問題を巡って米国と決定的に対立し、明治以降、先人が営々として築き上げた蓄積を灰燼に帰すという近代日本外交にとって取り返しの付かない致命的な国策の誤りを犯すことになったと分析する。

その上で「日本側の主観的な理想や正義を一方的に中国に投影し、期待した反応が得られないと、今度は幻滅と失望の感情を抱き、最後は実力行使によって懸案を一気に処理しようとエスカレートしてしまった」と結論づける。

この中国との距離感の取り方、換言すれば「他者」認識というのは、隣国である日本が対中関係を考える上で、現在にも通じる命題だと問題提起する。

ソビエト連邦のスパイゾルゲ事件に関わった尾崎秀実、西安事件をスクープした開明派ジャーナリストの松本重治など上海で活動した日本人に関する詳細なエピソードも興味深い。

中国認識で大切なことは、観念的に中国を観ることではなく、机上の空論を排した現実に即して中国を理解すること、そして、中国共産党が支配する「中華人民共和国」の現体制と「中国人一般」を同一視しないことが肝要だとの杉本信行・元上海総領事(故人)の言葉を紹介している。

◆共通利益に根ざした互恵関係を

現代の日中関係について、著者は「特に経済面、人物交流面での関係の重要性が戦後かつてない規模で拡大している中、好むと好まざるとに拘わらず、日中経済関係は、「運命共同体」となっている。隣国にある14億の巨大市場をどう活用できるかは、今後の日本経済にとり死活的重要性を持つ」と主張。

「中国経済は、評論家的、第三者的に好悪の観点から論じることのできる対象ではなく、その動向が日本経済に直接影響を与える存在になっているという現実を認識する必要がある」と言う。

また、「中国にとっても隣国の1億3千万人近くの人口を有する経済・技術大国、そして課題先進国である日本を無祝することは不可能である」と指摘。

http://www.recordchina.co.jp/b188352-s136-c10.html

>>2以降に続く)