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端島の炭鉱で働いていた宮崎県在住の松本栄氏(88)
「終戦後に帰国を拒まれ行き場のなかった朝鮮半島出身者が端島に戻って働いた」
「戦時中に坑内で大けがを負った半島出身者が生活保護を受け社宅に住み続けた」
と証言している(2017年1月14日付長崎新聞)。


端島には1920年代から、多くの朝鮮人が働いていた。
仕事と高給を求めて自ら海を渡ってきた人たちだ。
なかには密入国して島を目指す人もいたが、日本人警官は律儀に追い返していたという。
「1941年に太平洋戦争が始まるとその数は急激に増え、
1943年には朝鮮人約500人、中国人約200人がいたという記録があります」(酒井氏)