7月23日投開票の仙台市長選で初当選した元民進党衆院議員の郡(こおり)和子氏(60)が22日に就任した。

民進、社民の各県組織の支持と、共産党県委員会、自由党の支援を受け、与党系候補との真っ向勝負を制して次期市長の座を勝ち取り、自らを「革新市長」と称している。東北最大の都市・仙台の新たなかじ取り役の素顔は…。(東北総局取材班)

「島野武氏以来だ」

「島野市長以来の革新市長だ」

投開票日から4日後の7月27日夕刻、市内のホテルで開かれた民進党宮城県連の幹事会。同党の国会議員や県議、市議が集まる会場に、白いジャケットをまとって、さっそうと登場した郡氏は自らをそう称した。

「革新市長の任務の中で、一番大切なことはなんだろう」。郡氏はおもむろに一冊の本を手元に広げ、その一節を読み上げた。

「市民と直結する市政をつくること。市民とともに生きること。言葉を換えれば、地方行政を高度に民主化することである」

仙台市では、昭和33年2月から59年11月の四半世紀にわたり、「革新市長」と呼ばれた島野武氏(1905〜84年)が、7期連続で市長の座に就いていた。

「島野さんの市長日誌を改めて読ませていただいた」と述べた郡氏は、島野氏の著書を読み上げた後、こう宣言した。

「私も同じことを肝に銘じて、これから活動してきたい」

慰安婦問題のデモで演説

「革新首長」は、東京都の美濃部亮吉知事、大阪府の黒田了一知事、京都府の蜷川虎三知事、横浜市の飛鳥田一雄市長らが知られるが、1970年代でほぼいなくなった。

「保守」に対しての「革新」という言葉も今では死語に近く、「左翼」「左派」「リベラル」などが当てはまる。

郡氏は、韓国で慰安婦問題のデモに参加した元参院議員(宮城選挙区)の岡崎トミ子氏(1944〜2017年)の“弟子筋”であることから、ネット上では「反日」との非難も目立つ。

郡氏のホームページに掲載されている平成18年3月15日の日記には「従軍慰安婦問題で恒例の水曜デモが国会前であった。700回目のデモ。ハルモニたちに時間はない。一日も早く謝罪と補償をと、私もマイクを握った」との記述がある。

TBS系アナから民主党へ

秋保(あきう)温泉で有名な、仙台市太白区の秋保地区出身。東北学院大を卒業後、TBS系の東北放送に入社した。東北放送は岡崎氏がアナウンサーを務めた放送局だ。郡氏もニュース番組を中心にテレビ出演し、地元では有名なアナウンサーだった。

出産、子育てをしながら仕事を続け、解説委員や報道制作局部長なども歴任した。

昭和30年に宮城県松山町(現大崎市)で一家4人が殺害された「松山事件」で、再審無罪となった元死刑囚の斎藤幸夫氏を取材した。

「社会の目の届かないところに不条理で思わぬ人生を歩まざるを得ない人がいる」

これをきっかけに、「政治が解決できる」と確信。岡崎氏にも背中を押され、政界への転身を決意した。

平成17年の衆院選で、宮城1区から旧民主党公認で出馬した。小泉純一郎首相(当時)の下で自民党が圧勝した“郵政選挙”。小泉旋風が吹き荒れる中でも地元では「郡氏優勢」とされていた。しかし、小選挙区で自民党公認の対抗馬、土井亨氏に1972票差、惜敗率98・3%で敗れた。

郡氏は市長選の期間中、この衆院選について「トラウマ」と振り返った。「反応は悪くないけど負けてる選挙も経験してるから…」と話し、序盤から「優勢」が伝えられていた市長選でも不安を口にしていた。

小選挙区で敗れるも比例東北ブロックで復活し、初当選を果たした17年の衆院選。宮城1区で郡氏は、土井氏と長年ライバル同士だった。両氏は17年の衆院選以来、計4回対戦し結果は郡氏の1勝3敗。

小選挙区での当選は旧民主党に政権交代した21年の衆院選のみで、そのほかは土井氏に僅差で敗れ、比例復活で当選する「二枚腰」を見せた。

議員としての力量は

「政治は弱い人に光を当てるもの」。政治家、郡和子氏のモットーだ。

http://www.sankei.com/premium/news/170824/prm1708240003-n1.html

>>2以降に続く)