東京やニューヨークをはじめ大都会の真下には、たくさんのトンネルや配管があり、縦横無尽に人や物を運ぶ役目を果たしている。ナショナル ジオグラフィックの書籍『世界の果てのありえない場所』には、過去に存在したスパイトンネルや地下通信施設、未完成の地下鉄など、いわく付きの地下世界も紹介されている。今回はその中から、中国の「北京地下城」を取り上げよう。

北京には、もともと地下鉄として建設が始まったものの、市民を守るための巨大シェルターへと発展した地下世界があった。それが「北京地下城」だ。

世界で最も強大な、しかも隣接する二大共産主義国だった中国とソビエト。1969年の春には中ソ国境で両軍が衝突する小競り合いが続いていた。これより7年前に米ソを巻き込んだキューバ危機と同じく、この衝突は世界を核戦争の瀬戸際にまで追い込んだ。

ことの発端は、かつて清国とロシア帝国の間で結ばれた条約を巡る領土問題だった。さらに数世紀前から両国の間では国境を巡る論争が絶えなかった。万が一、攻撃が始まれば米国は中国側につくだろうという意向を米政府がソ連指導部に明示したことで、核の使用はかろうじて回避された。

嵐は去ったかに見えたが、先々紛争が起きる恐れはぬぐい去れなかった。毛沢東主席は、中国には来たるべき核攻撃に備える必要があるという考えを強めた。

これより4年ほど前、北京では新たに地下鉄の建設工事が始まっていた。この事業は皮肉にも、かつて毛沢東がモスクワを訪問した折りにソ連の技術支援を取り付けて実現したものだった。この地下鉄は公共交通機関というよりも民間防衛を目的としており、トンネルが核攻撃に耐えられるかどうかの検証試験まで、ロプノールにある中国の核実験場で実施された。

しかし、1969年に起こったソビエトとの軍事衝突を受けて、地下鉄工事は地下の複合施設建設へと転換された。網の目のように走る秘密の避難用トンネルが、中南海から共産党本部、さらに北京郊外の八大処にある軍事基地まで、重要拠点を縦横無尽に結ぶコンクリート造の巨大地下壕である。

こうして北京の地下に作られた都市「北京地下城」は、最終的には北京市民600万人全員を収容することを目指して計画された。

だがこれは、到底、達成できるとは思えない目標だった。この核シェルターとおぼしきコンクリートの施設が、一体どこまで広がっているのかはわかっていない。だが、天安門広場の下を走るトンネルは戦車が通れるほどの大きさだと噂され、トンネル網は130平方キロもの範囲に及んでいたと考えられている。

2000年にはトンネルのごく一部が一般公開された。見学者が地下へと降りていくと、そこには気味が悪いほど殺風景な空間が広がっていた。じめじめとした階段の壁一面には色あせたプロパガンダのポスターが貼られ、核物質を吸い込まないようにマスクを装着せよと呼びかけている。

この毛沢東最晩年の時代の空気を封じ込めたタイムカプセルは、2008年に「修復」工事を理由に閉鎖された。北京地下城の大部分は手つかずで残されたが、立ち入ろうにも困難を極め、また立ち入りは禁止されている。一部は北京の地下鉄網に接続されている。

すでに世界第2位の規模となった今も、北京地下鉄は着々と拡大を続け、今後10年以内に総延長距離はさらに2倍となる。商業や労働は、国防や戦争に勝るとでもいうように。

※ナショナル ジオグラフィック『世界の果てのありえない場所』より一部抜粋して再構成

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170902-00010000-nikkeisty-life

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観光客にも一般公開されていた「北京地下城(BEIJING UNDERGROUND CITY)」の入口。2008年に閉鎖された。(写真:Well-rested)