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その人脈は各国も注目し、95年には韓国政府が対北コメ支援のメッセージを猪木氏に託したこともある。

だが、猪木氏は、日本ではかなり冷ややかに見られているようだ。ご本人は、こう語っている。

「訪朝するたびに、外国の政府関係者から問い合わせがありますが、残念ながら日本政府からは何の接触もありません」(週刊朝日2014年1月31日)

政治討論番組に出演して国家天下を論じたり、選挙区の駅前で「対話ガー」「圧力ガー」と喉を枯らしたりというのも議員の立派な仕事かもしれないが、猪木氏のように、とにかく相手の懐に飛び込んで対話をしてくる、という議員がいてもいいのではないか。

ただ、このような「実績」もさることながら、筆者がこのタイミングでの猪木氏の「訪朝」に期待する最大の理由は、これまでよりも明らかに「バッシング」が増えてきているからだ。

歴史を振り返ると、国全体が「戦争」という国威発揚イベントで興奮状態になっている時というのは、国民からバッシングされるくらいの行動をしている人の方が、実は戦争回避のために尽力をしている、というケースが圧倒的に多い。

戦前、愛国マスコミに叩かれても戦争回避に動いた朝河貫一

たとえば、戦前の日本で初めてイェール大学の教授となった朝河貫一という歴史学者がいる。

東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)の報告書に名前が出て一躍、注目を集めた人物なのでご存じの方も多いと思うが、日米開戦直前に、ルーズベルト米大統領から昭和天皇へ親書を送らせようと、当時の日本政府とは関係なく個人で奔走した人物である。

自ら草案を書いて、友人で、ワシントンに顔がきくハーバード大学美術館のウォーナー東洋部長に託した。結局、朝河の草案がそのまま採用されることはなかったが、ルーズベルトは親書を天皇に送った。しかし、時すでに遅しで、届いたのは真珠湾攻撃の直前だった。

そんな朝河を「朝日新聞」では「祖国が平和を諦めた中で、朝河は1人闘う」(2015年4月2日)なんて調子で、戦争回避のために単身働きかけたヒーローのように扱っているが、実は戦前は朝河を敵国のスパイのように扱っていた。

日露戦争で勝利した日本では、ロシアからバンバン賠償金を取れ、朝鮮半島の権益をぶんどるべきだという世論があふれ返っていたが、朝河は、「日本は金や領土のためではなく、アジア解放という大義のために戦ったのだから、そんなものを要求してはならない」と説いてまわった。

それを当時は「愛国マスコミ」の急先鋒だった「大阪朝日新聞」(1905年10月30日)が、いけすかない奴だとディスっている。横浜市立大学の矢吹晋名誉教授があるセミナーで、そのあたりの「悪口」の説明をされているので、引用させていただこう。

《「朝河貫一と呼べる人なり、此の人イェール大学を卒業し、目下、米国某学校に於いて東洋政治部の講師として聘せられ居るものなり。名刺にはドクトル及び教諭と記し、日本人に語るにも日本語を用いず、必ず英語を以てす。
此の人、ポーツマスに来たり、日々ホテル・ウェントウォースに在りて、多くの白人に接し、頻りに平和條約の條件に就て説明をなしつつあり。英文にて記せる朝河貫一なる文字とその肩書きの立派なるよりほかは知らざる白人は…」との書き出しで、学校の講師で安月給のくせに、
1日に5ドルのホテル代を払って、ここにいるのははなはだ疑わしい、誰の回し者だという書き方です》(日本海海戦100周年記念歴史セミナー「世界を変えた日露戦争」より 2005年5月28日)

猪木氏が訪朝するたびに、「北朝鮮の手先か」とか「北朝鮮に媚びを売っている」といたるところでディスられているのと、ほとんど変わらないのではないだろうか。

猪木氏が批判されても訪朝を繰り返す理由

猪木氏は、批判されても訪朝を繰り返す理由をこのように述べている。

「おれが言いたいのは、ドアを閉め切る外交というのが世界中どこにあるのかということです。話し合いもしないで、どうして解決するんですか(中略)制裁をかけたら『ごめんなさい』と言うほど、相手は甘くない」(週刊朝日2010年11月12日)

もちろん、北朝鮮の核を認めてまずは話し合おうなんてのは論外だ。政府は強硬な姿勢をとるべきで、もし猪木氏が閣僚であれば、勝手なスタンドプレーは許されることではない。しかし、幸いというか、猪木氏は無所属議員に過ぎない。これまで長い時間をかけて培ってきた北朝鮮との信頼関係もある。

そんな猪木ルートまで断絶して、話し合いの道をすべて閉ざすことで、この問題を解決できるとは思えない。

(続く)