9月10日 17時13分

今から94年前に起きた関東大震災のあとの混乱で殺害された朝鮮人犠牲者を追悼する催しが、千葉県八千代市で開かれ、集まった人たちが犠牲者の死を悼みました。

関東大震災のあとの混乱のさなかには、東京や神奈川、千葉などで多くの朝鮮人が殺害され、このうち八千代市では18人の朝鮮人が殺害されたことが市民団体の調査でわかっています。

10日、八千代市の観音寺で開かれた追悼の催しには、市民らおよそ90人が参加しました。はじめに、地元の住民が鐘をついて黙とうしたあと、市民団体の代表の吉川清さんが「不幸な歴史を二度と繰り返さないためには、多くの人々が真相を知る努力を重ね、次の世代にも引き継いでいかなければならない」と話しました。

そして、僧による読経の中、参加者たちが慰霊碑の前で焼香し、手を合わせて犠牲者の死を悼みました。

関東大震災のあとに殺害された朝鮮人のための慰霊碑や墓は、八千代市のほか東京、埼玉、神奈川などにおよそ20か所あり、市民団体などが毎年、各地で追悼の催しを開いています。

八千代市で殺害された朝鮮人の調査を続けてきた元教員の大竹米子さん(86)は「安らかにお眠りくださいという言葉ではなく、殺害の事実を伝えて続けていくことが、亡くなった人の供養になると思います。若い人たちにも参加してもらい活動を続けていきたい」と話していました。

大竹さんは地元で中学校の教員をしていた昭和51年に、市内でも関東大震災のあと朝鮮人が殺害されたと聞き、仲間とともに調査を始めました。

当初は過去にあった負の出来事を口にすることをためらう住民も多かったといいます。

大竹さんは「殺害の事実は住民の人たちにとっては、長年タブーの話だった」と振り返りました。

しかし、次第に調査に協力する人たちも出始め、大竹さんたちは当時の様子が書かれた日記を見つけます。そこには震災後の9月7日に軍の収容施設から朝鮮人を引き取るよう知らせがあったこと、そして、引き取った朝鮮人を住民が殺害して穴に埋めたことが記されていました。

大竹さんは調査開始から22年がたった平成10年に、地元の人たちと現場を掘り起こし6体の遺骨を見つけました。現在、これらの遺骨は観音寺の慰霊碑の下に埋葬されています。

これまでの調査で、市内では少なくとも4か所で同様の事件が起きていたことが確認されたということです。

大竹さんたちは今後も、殺害された朝鮮人の身元を調べるとともに、こうした事実が将来忘れられることなく、若い世代に語り継いでいってほしいと今も活動を続けています。

大竹さんは「負の歴史も知り、犯した間違いを認めることが、日本の将来の在り方を決めていくと思います」と話していました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170910/k10011134111000.html