「新幹線」と「スズキ」が見せ場

安倍首相が9月13日からインドを訪問することになった。安倍首相の訪印は2015年12月以来のことである。それ以前の2014年、2007年(第一次安倍政権時)にも訪印しており、首相として4度目のインド行きとなる。

なぜ安倍首相はこれほど頻繁にインドを訪問するのか?安倍首相は2006年12月に、インドのマンモハン・シン首相が訪日したとき、毎年交互に、両国の首相が相手国を訪問することを約束していた。

毎年、首脳が交互訪問し会談を行う約束をした相手国は、日本にとってはインドが初めて、インドにとってはロシアに次いで2番目とのことである。日本とインドはお互いにそれぞれの国との関係をそれほど重要視しているということであり、2014年に就任したインドのモディ首相もすでに2度来日している。

今回の訪印では、安倍首相はインド西部のグジャラート州で2泊3日の日程をこなす。グジャラート州には日印経済協力の象徴的な場所があり、安倍首相の訪問が予定されている。それは「新幹線」と「スズキ」だ。また、グジャラート州はガンジーがインド独立への運動を展開した地である。

ここで日本とインドはアジアの民主主義国として、「特別戦略的グローバル・パートナーシップ」を確認することになる。

新幹線方式の高速鉄道を建設へ

まず今回の訪印の最大の見せ場は新幹線であろう。モディ政権になってから、安倍首相との間で合意したのが、高速鉄道に関する日本の協力だ。インドは6路線の高速鉄道を計画中で、諸外国の調査に委ねている。

このうちムンバイとアーメダバード(グジャラート州最大の都市)を結ぶ約500キロの路線については日本が協力することが決まった。2015年の安倍首相訪印時に、ムンバイとアーメダバードを結ぶインド初の高速鉄道建設に日本の新幹線方式の採用で合意した。

総事業費約9800億ルピー(約1兆8000億円)のうち、1兆円超の円借款を供与する方針だ。

ムンバイ・アーメダバード間の計画がうまくいけば、ほかの路線にも日本の新幹線方式が採用される可能性が高いであろう。中国も参入を狙っているが、技術やシステムは中国製と称するものの、日本など外国技術をコピーしたことをインドはよく知っている。

インドネシアのジャカルタ・バンドン間の高速鉄道計画を中国に持っていかれた日本としては、インドでリベンジした形になる。

安倍首相はモディ首相とともに高速鉄道建設に関連する地を訪れ、日本の新幹線協力を日印両国国民及び世界各国に対しPRすることになる。

また、貨物鉄道に関する日印協力も進んでいる。インドの国鉄網のうち、経済的に最も重要なのは、首都デリーと最大の経済都市ムンバイを結ぶ路線、次いでデリーと旧首都コルカタを結ぶ路線である。前者は西回廊、後者は東回廊と称する。

これらの路線はインドの大動脈であるが、ほかの路線と同様、客車と貨物車がダイヤを分かち合い共有しながら使用している。これが鉄道の遅れの最大原因だ。

そこでインド政府は、旅客用のレールと貨物用のレールを分けて複線化する構想を打ち出した。西回廊約1500キロメートルの貨物専用鉄道建設のために白羽の矢が立ったのが日本だ。インドは、世界に冠たる日本の鉄道と長年の対インド協力の実績に期待した。

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(地図:『最後の超大国インド』から転載。以下同)

貨物新線には「スズキ用」の2階建て貨車が走る

ちなみに、デリーとムンバイを結ぶ貨物新線を運行する貨車の一部は2階建ての予定だ。これは、グルガオンとマネサールで製造されたマルチ・スズキの小型自動車を2階建てで運ぶことが効率的であるからだ。スズキのインドにおける影響力の大きさを物語るエピソードである。

スズキは冷戦が継続していた1982年、インドへの乗用車の投資を決定した。鈴木修社長(現会長)の英断と先見の明によるものであった。当時、インドはまだ国家主導経済の真っただ中にあった。経済成長のレベルも国民所得も低く、インド人にとって自動車などは高根の花であった。

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/226265/090500170/

>>2以降に続く)