大前提として。
俺らが認識する、合理的、科学的世界観ってのはどういうものかを語ってみようか。
と言っても、ここで軸にする観点はそんなややこしい話じゃない。
『確定した因果関係』と、それだけ。
俺らの認識する世界ってのは、基本『原因→結果』という関係が成立し、しかも法則が『固定』されている。
例えば、F=maとか。
状況によってF=ma+πになったり、m(a+sina)になったりとかしたら、普通は実験が不完全か、法則が間違ってると見なす訳だ。
ただ、素朴な疑問。

実験でも何でも良いから、誰か『F=maそのもの』を見つけたことあるの?

そんなもん、見つけられる訳がない。
観測や実験には必ず『誤差』が伴う。
それらを、統計処理して『誤差』を切り捨てることで、はじめて法則に至れる訳で。
ただ、ここで敢えてこう考えてみよう。
実は、『誤差』が誤差じゃなかったら?
実験は正確で、値も正確。しかし、観測の度に世界そのものが確率的に揺らいでるとしたら?
要するに、正規分布とかと同じ周期で『法則そのものが揺らいでる』としたら?
その場合、俺らの見てる法則って、実は世界の構造と一致してない可能性さえ出てくる。
強いて言うなら、見えてるのは『世界の平均値』。
ゆらゆらと揺らいでる状況、確率や統計分布そのものが、物理法則の更に上位の『世界の構造』であることも否定できなくなる。
ただ、少なくとも現状においては、人間はそんなカタチじゃ世界を『認識』出来ない。
だって、世界は明らかに確定しちゃってるし、法則も(ヒトの感覚では)確定しちゃってるんだもんw
ただ、『ヒトのオルタナティブ』たる、進化しきったAIなら、あるいは世界をそういう風に認識するかも知れない。
例えば、機械学習ってぶっちゃけ統計の集合体。
翻訳を例にしてみよう。
『This is a pen.』という文を、機械学習により翻訳させるとしたらどうなるか。
ビッグデータ内の、『This is a pen.』と、その翻訳に当たると思われる文を、プログラムがかき集め、対応表を作る。
で、統計的に頻出する訳文を引っ張り出してくる。
暴論的に言い切っちゃうと、それだけw
そこには文法もクソもない。ただ、統計。
そういうAIが描像する『世界』って、先に述べた『確率統計的世界観』にならないかな?
世界に法則や因果などない。ただ、データと確率と統計があるだけっていう。
因みに、補足して。
因果においても、ベイズ統計の観点で『逆転』しうる訳で、それこそがベイズ的考え方を人類が300年