>>283
それの方が確かに分かりやすいw
それを盛り込み、該当個所を大幅に書き直そう。

計測には誤差が付き物と、俺らは素朴に考えている。
実験って言うのは、常に『真の値±誤差』などという値になると。
例えばこう。
金正恩(仮名)氏のチンチンを何度か測ったとする。
9.1cm,8.8cm,8.9cm・・・などと、少しずつズレた値が得られ、それを平均するなどして、『真の値である9cm』を『見つけた』と、そう考えるのが普通。
しかしだ。
実は、金正恩(仮名)のチンチンは、常に膨張/収縮を繰り返してるとしたら?
で、例えばたまたま(タマタマではなく竿だが)膨張したときに測った『9.1cm』は、実は誤差ゼロの『真の値』である可能性も否めない。
だとすると、疑問が出てくる。
『俺らのさっき見つけた真の値って、そもそも何のことを言ってるんだ?』
まあ、これは統計学初期で結構議論された問題なんだけどね。
例えば身長とか体重の平均は出せるけど、そもそも全てが平均の『平均人』なんて存在するわけがない。
じゃあ、そもそも平均って何なんだ?って。
ま、そこの議論は深入りしない。
興味あるなら、『統計学を拓いた異才たち』って統計学史の一般向け名著に書いてあるから読んでみてくれ。
大抵の図書館に置いてあるし、他の内容もかなり面白い、つーか、読まれると俺の話が結構ネタバレするw
アチコチ引用したりネタ拾ってきたりしてるからw
閑話休題。
ともあれ、統計なら、それは一種の仮想的理想値とかいう『言い逃れ』も出来るし、実際そうしたw
しかし、科学の場合、それでは逃げられない場面もある。
そもそもの基礎方程式とか、法則諸々、更に物理定数とかの定数群。
それらも、『真の値』が存在する前提でないと成立さえしない概念な訳で。
つまり、『真の値』など無いって考えると、科学法則も所詮永遠に簡易計算法程度の意味しか持てなくなり、科学の持つ意味が大幅に矮小化されてしまうんだよね。
究極的には『法則などない』ということになっちゃう。
じゃあ、その前提の場合、『世界の構造』ってのはどうなってるのか?
単なる確率と統計の塊。
強いて言えば、それこそが世界のほぼ唯一の『法則』ということになる。
ただ、そんなの普通の感覚じゃ受け入れがたいよね?
俺らは、色んな経験や実験、データを『法則化』することに慣れすぎてる。
凄く素朴な、かつある意味人間らしいアバウトな例で言うと。
誰だってジンクスや経験則って持ってるよね?
で、ほぼ無意識に、それらに従って生きてたりする。
『法則などない世界観』に立つと、そういう行為さえも不自然な行動になっちゃう。
だって、これって『主観的法則』なんだし。
結構な数の『人間らしい振る舞い』が消されちゃう可能性さえ有り得る。
しかし、数理とデータ、そして確率統計の化け物であるコンピューター、ないしはAIなら、むしろそれが『自然』になるかも知れない。

とまあ、こんな感じの文を追加で書いてみた。
これで、何言いたかったのか多少見通し良くなったか?