ユン・チホ(尹致昊)

1945年10月20日、親日派清算問題が議論されると李承晩と金九、アメリカ軍政庁にそれぞれ「ある老人の暝想録」と題する英文の書簡を送り、
独立運動家らの自分で独立を勝ち取ったかのようなふるまいを厳しく批判した。

日本の臣民として「朝鮮で生きねばならなかった」私達に、日本の政権の命令や要求に応える以外にどんな選択肢があったのでしょうか?
私たちの息子を戦場に送り、娘を工場送らなければならなかったが、どんな方法で軍国主義者たちの命令と要求に逆らうことができたのでしょうか?(
中略)したがって、誰かが日本の臣民として行った仕事をもって非難するのは大間違いです。
(中略)我々は、解放が贈り物として与えられたことを率直に認めて、その幸運に感謝すべきです。
失くした宝石を発見したような恩恵を受けただけに、謙虚な気持ちで再びそれを失わないよう最善を尽くすべきです。
些細な個人的野心と党派的な陰謀と地域間の憎悪は忘れて、苦難を経験している我が国の公益のために皆で協力しなければなりません。
わが国の地政学的状況を推察するとき、民衆の無知と党派間の不和の中で私たち朝鮮の未来を楽観することはできません。
我々は、分裂せずに団結する必要があります。
(中略)あたかも自分たちの力と勇猛を持って日本軍国主義から朝鮮を救い出したかのようにどこ何処へ行っても威張っている、自称救世主らの振舞い
というのは真に見苦しい姿です。
彼らはとても鈍いか羞恥心がない―おそらくその両方である―人々であるから、朝鮮の自由は月の国の住人程のものすらないということが分からないようです。
(中略)いわゆるその「解放」というのは、単に連合軍の勝利の一部として私たちに与えられただけです。万一日本が降伏していなかったならば、あの虚勢
と自慢に満ちた(自称)「愛国者」らは、誰かが大きな杖で日本を追い出すときまで、東方遥拝をし皇国臣民誓詞を詠じ続けていたでしょう。明らかなのは、
この虚勢と自慢に満ちたあの「愛国者」らが日本を追い出したわけではないということです。。