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その後、フランスが支配する南ベトナムと北ベトナムが戦争をはじめます
これを「インドシナ戦争」と呼びます
このインドシナ戦争では、北ベトナムをソ連と中国が支援し、フランスが支配する南ベトナムをアメリカが支援していました

これはその後に始まるベトナム戦争と同じ構図でしたアメリカが南ベトナムを支援したのは、当時のヨーロッパで東西の冷戦がはじまっていたからです
アメリカはアジアの共産主義化を恐れていたのです

結果、この戦争ではフランスが北ベトナムに負け、1954年に休戦協定が結ばれます
この協定により、フランスはベトナムから撤退し、ベトナムは南北の国に分かれ、南ベトナムにアメリカが支援する国が生まれるのです

腐敗した南ベトナムの政府

アメリカは共産主義に対抗する民主主義の政府を樹立させたつもりでしたが、
実際のところ、南ベトナムの大統領になった人物は、独裁政権をつくり、国民が貧しい暮らしをしているにも関わらず、自分たち一族だけが贅沢な暮らしをしていたのです

またカトリック教徒だった南ベトナムの大統領は、仏教徒も弾圧します
弾圧された僧侶は、ハンガーストライキや焼身自殺をすることで抵抗を見せたのです

自由世界を守るためにアメリカは南ベトナムを援助していた論理ですが、現地では国民を抑圧する腐敗政権を援助していただけだったのです

南ベトナム解放戦線の結成

南ベトナムで民主化運動がつぎつぎと弾圧されるなかで、南ベトナム解放戦線の結成が結成されます
ベトナム戦争が激化していく過程で、この組織は北ベトナムの命令を受ける組織へと変質しますが、当初は南ベトナムの国民による民主化運動のための組織だったのです

南ベトナム解放戦線は、ゲリラ活動を基本にし、南ベトナム政府に抵抗します
南ベトナム政府の弾圧がひどかったため、民衆・農民は解放戦線を支持します

南ベトナム政府の悪政に対して、住民が立ち上がったという事実だったのですが、当時のアメリカはこれを正しく認識できず、解放戦線をソ連や中国から送られた共産主義の手先と考えるのです

全てはアメリカの勘違い・勉強不足から悪夢がはじまった

南ベトナム政府は解放戦線との戦いに次々と負けます解放戦線を共産主義の手先だと勝手に思い込んでいるアメリカは危機感を募らせ、南ベトナム政府に代わって、解放戦線との戦闘をはじめます

この当時は、アメリカはアジアに対する理解がまったくありませんでした
また東西の冷戦がはげしくなり、共産主義化が広がることを恐れるアメリカは冷静になれなかったのです
こうして、ベトナム人による民主化運動が、アメリカ人の戦争になってしまったのです

農民とゲリラの見分けが付かない韓国兵による虐殺がはじまる

農村に派遣された韓国兵は、ただの農民と解放戦線のメンバーを見分けることが出来ません
ベトナムの農民がすべてゲリラに見えるのです
そこではじまったのが、韓国兵による罪もない農民に対する殺害です