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ただの農民をゲリラと誤認して殺害することが、たびたび起こるのです
そうすることで、南ベトナム内でアメリカ兵に対する民衆の反発が大きくなるのは当然の流れとなります
南ベトナム内でアメリカは、解放戦線を相手にして非常に苦戦します

そうして、北ベトナムとの本格的な戦いが始まるきっかけとなる事件が起きます

トンキン湾事件で、アメリカは北ベトナムを攻撃する口実を見つける

詳細は割愛しますが、トンキン湾というところで、アメリカの軍艦が北ベトナムから攻撃を受けます
これを口実に、アメリカは北ベトナムへの爆撃を開始し、北ベトナムとアメリカの戦争が本格化します

アメリカは巨大な爆撃機による北ベトナムへの空爆をはじめますが、思ったような戦果をあげることができません
それは、北ベトナムは工業国ではなく、ほとんどが農村やジャングルだったこともあります

アメリカから爆撃を受ければ受けるほど、戦意を燃やし北ベトナムは南ベトナムで戦う解放戦線への支援を強化していくのです
ここでも、アメリカの勉強不足により誤算が生じたのです。

泥沼化するベトナム戦争

焦るアメリカ、韓国軍は、怪しいと思った農民や家族を捕まえては、訊問、その場で射殺を行います
村の家屋に火を放ち焼き払います。

韓国軍による村の破壊が進むと、南ベトナムの人口の大半をしめる農民が解放戦線の側に移ります
悪循環を繰り返すことにより、韓国軍による農民の虐殺がひどくなります

なかでも、ソンミ村での集団虐殺、無抵抗な160人の老人や婦女子を虐殺した事件はアメリカ本国でも知られ、アメリカ国内での反戦ムードが高まるのです

1975年4月、南ベトナムが消滅する

アメリカ国内の世論により、アメリカは方針を変え、次第にベトナムからの撤退を進めます

アメリカ軍がいなくなった南ベトナム政府軍は弱体化し、結果、北ベトナム政府軍に敗北するのです
1975年4月には、首都であるサイゴン市内が攻略され、南ベトナムという国が消滅しました