朝鮮学校訴訟 学ぶ権利、顧みない判決

教育を受ける機会を公平に保障する高校無償化制度の趣旨を踏まえた判断とは言いがたい。学ぶ権利や教育の独立性を損なう行政の介入に厳しい目を向けるべき司法が、その責務を自ら放棄していないか。

朝鮮学校を無償化の対象から除外したのは違法として卒業生たちが国に損害賠償を求めた裁判で、東京地裁が請求を棄却する判決を出した。国側の主張を全面的に認め、裁量権の逸脱はないと結論づけている。

判決でとりわけ納得がいかないのは、無償化の対象外とした政府の判断について「政治的理由ではない」としたことだ。なぜそう言えるのか。根拠をはっきりと示してはいない。

高校授業料の無償化は、民主党政権下の2010年に導入された。外国人学校も広く対象とする一方、朝鮮学校だけは適用が見送られ、自民党の政権復帰後の13年に文部科学省令を改定して除外を明確にした。

「拉致問題が進展しておらず、国民の理解が得られない」。当時、下村博文文科相は述べている。政治的な判断であることは明らかだ。判決は、結論ありきの強引な理屈づけにしか見えない。

国は裁判で、朝鮮学校は在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)と密接な関係にあり、就学支援金が授業料に充てられない懸念があると主張した。判決はこれを追認したが、公安調査庁の資料などに基づく主張を裁判所として十分に検証した形跡は見当たらない。

同様の裁判で原告が勝訴した7月の大阪地裁判決は、国の主張の根拠を検証し、朝鮮学校を除外する特段の事情は認められないとした。教育の自主性、独立性を重んじ、政治の介入を抑制する原則に立ったまっとうな判断である。

拉致問題や核・ミサイル開発をめぐって北朝鮮は強く非難されている。だからといって、在日の人たちをそれと結びつけ、日本で生まれ育った子どもたちにまで責めを負わせるべきではない。

教育を受ける権利は、ほかの学校の生徒たちと同じように保障されなくてはならない。朝鮮学校だけを分け隔てる施策は、法の下の平等や教育の機会均等に反する差別であり、排外的な主張を助長することにもつながる。

民族的な少数者が自らのルーツに関わる言葉や文化を学ぶ権利も尊重されるべきだ。差別が制度化された現状は改めなくてはならない。司法は人権を守る立場から政府にそれを促す責任がある。

ソース:信濃毎日新聞 9月19日
http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20170919/KT170915ETI090017000.php