■高麗神社■

▲古代には多くの朝鮮人が日本に亡命してきました。朝鮮の王からその領民まで
亡命してきたんですね。心優しい日本は彼らに住む土地を与えて保護してあげ
ました。その帰化朝鮮人が住んでいた所に彼らの神を祭りました。
それが今日まで残っているんですね。……しかし神社は天皇が大本です……
「帰化朝鮮人の神」が神社に祭られているという事は彼らの神が天皇に服属した
という事なんですけどね(笑)

▲高麗神社の主祭神はかつて朝鮮半島北部に栄えた高句麗国からの帰化人高麗王若光
(こまのこきしじゃっこう・「王」は他に「こしき」「こにしき」「こにきし」などとも読む)です。
若光の故国高句麗は、紀元前1世紀ころ朱蒙(しゅもう)によって建国されたといわれています。
最盛期は5世紀の広開土王(こうかいどおう)長寿王(ちょうじゅおう)の100年で、
中華人民共和国吉林省集安県にある広開土王碑からはそのころの高句麗の強勢ぶりをうかがうことができます。

▲若光が来朝した年代についての社伝はありませんが『日本書紀』天智天皇称制5年(666)年
10月高句麗から派遣された使節の中に「二位玄武若光」の名があります。
『続日本紀』文武天皇大宝3年(703)年に当社の御祭神が「従五位下高麗若光に王の姓を賜う」
と記されており、高句麗が668年に唐と新羅によって滅ぼされてしまったことを考えると、
『日本書紀』にある「玄武若光」と高麗王若光は同一人物と思われます。

若光は元正天皇霊亀二年(716)武蔵国内に新設された高麗郡の首長として当地に赴任してきました。
当時の高麗郡は未開の原野であったといわれ、若光は、駿河(静岡)甲斐(山梨)相模(神奈川)
上総・下総(千葉)常陸(茨城)下野(栃木)の各地から移り住んだ高麗人(高句麗人)1799人と
ともに当地の開拓に当たりました。若光が当地で没した後、高麗郡民はその徳を偲び、御霊を「高麗明神」
として祀りました。これが高麗神社創建の経緯です。

▲なお「従五位下」というのはとても低い階位です。当時の日本が朝鮮半島に対する関係がよくわかると思います