そもそもお茶っていうのは、仏教と共に「薬の一つ」として入ってきたもの
仏教が日本に本格的に入ってくる際、物部氏と蘇我氏が争ったのもこの頃に異教の神「仏教」を祀る事で伝染病(天然痘)が流行ったのか、寺を壊したから祟りが起きたのか争ってた

その際仏教側からすると、「病人を治療出来る」っていうのが大切な事で、その頃の作られた本尊の仏像は薬の仏の「薬師如来坐像」ばっかり

つまり、新羅の頃は「茶道」って意識自体無い
お茶は薬の一つなんだから、日本も朝鮮半島も地味なのは当たり前