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2017/09/23(土) 22:44:22.41ID:CAP_USERhttp://imgnews.naver.net/image/052/2017/09/14/201709141115366504_t_20170914113725207.jpg
「日本茶を飲む礼法の中で、『草庵茶茶道』の根は我が国から始まりました。」
陶芸家であり、茶文化研究家でもあるチェ・チョンガン氏は、
「新羅の高僧である無相禅師が唐国で『禪茶』を創始し、朝鮮時代の学者である梅月堂(※金時習の号)がこれを『韓茶』すなわち草庵茶として発展させて、日本ワビ茶になった」と主張する。
梅月堂は、我が国の最初の漢文小説である「金鰲神話」の作家としてもよく知られている。
チェさんは30年間、100回以上中国と日本の現地図書館と博物館などを往来しながら茶を研究した。
以来、これを集大成にした著書「韓茶文明の東傳」は学界の注目を浴びた。
チェ氏は、本を通じて
「16世紀日本茶精神のうち、ワビ茶に影響を与えた人は梅月堂で、茶を飲む時に使う器である「ワン」も朝鮮時代の南部地方から伝わったものだから、我が国が日本に影響を与えたということ」と強調した。
我が国の茶の精神と茶器の一部が日本に渡り、日本式に再創造されたというのだ。
次はチェ・チョンガン研究家との一問一答。
Q.著書を通じて、韓日の間で「茶道文化」が移り行く過程が私たちが知っていた事と異なるという主張をした。
ここでの日本茶道とは、草庵茶茶道すなわち禪茶を意味する。
7世紀中頃、唐代で新羅王子だった無相禪師から発達した禪茶は、仏教において茶を飲みながら遂行する文化だ。
以後、高麗時代に寺刹を中心とした禪茶意識が発達し始めた。三国遺事の著者である一然禅師も禪茶を発展させ、新羅と伽耶の茶に関する記録を整理した。
その後、朝鮮時代の梅月堂先生にも禪茶精神が伝授された。禪茶は「草庵茶」へと生まれ変わった。
草庵茶は農民が住む草家を母体にした。清貧を基礎として15世紀日本に伝播されて新しい文化を作った。これを30年間研究した結集がまさに著書「韓茶文明の東傳」だ。
Q.それならば、我が国と日本の茶道の違いは何か?
日本ワビ茶は韓国の「草家」に根を置いている。しかし、初期のワビは高台広室のような大きな家から始まった。
これに対し、我が国の草庵は草家のように小さい素朴な自然主義を追求するソンビを通じて発展した。
金時習は、禅家と道家、仏家思想を土台に、儒教茶の伝統にこのような哲学的な深みと法式を加えた。
Q.梅月堂によって「草庵茶」が日本に伝播したという事実はどうやって明らかにしたのか?
研究の始まりは35年前だ。金時習が草庵で日本の外交使節の僧侶に徹夜で草庵茶の精神世界を論じる送別詩を詠んだことを梅月堂文集の中から発見した。
1988年、江原大学で開かれた梅月堂関係の国際学術セミナーで、「日本室町時代草庵茶に与えた梅月堂の影響」を主題に論文を発表し注目された。その後に本格的な研究が開始された。(省略...)
ソース YTN(韓国語)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=052&aid=0001058685