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【古谷経衡】ネット右翼の「思想的苗床」となった、漫画家・小林よしのり著『戦争論』を再検証する
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2017/10/04(水) 01:48:45.66ID:CAP_USER
『戦争論』とデジタル時代の黎明

ここに一冊の漫画本がある。初版は1998年6月。漫画家・小林よしのりによる『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』(小学館)略して『戦争論』である。

当時、私は高校一年生になりたてであった。私も、そして少し政治や社会や歴史に関心のある学友は、みなこの『戦争論』と同『ゴー宣』シリーズを貪るように回し読みしたものである。

私は当時、19世紀プロイセンの将校クラウゼヴィッツの書いた同名書があることも知らない無垢の少年であった。

結果、『戦争論』は総発行部数90万部を突破して記録的なベストセラーとなった。漫画本とはいえ総頁数381という広辞苑なみの分厚さの本を読破した、というのが、当時の「亜インテリ少年」たちにとってある種の勲章となった。

まだインターネットが広範に普及する前のこの90年代末期、いや正確には、ネット接続は「iモード」を筆頭とした移動体通信によるものが若年層の中で定着していたこの時期にあって、各家庭にあるパソコンからのネット接続環境は劣悪であった。

アナログ回線の速度は理論値で56kbps。自宅が基地局から遠ざかれば遠ざかるほどこの速度は減衰した。まだしもマシだったのは、当時NTTが全世帯に普及させようとしていたデジタル回線であるISDN。これが64kbpsで、さらに午後11時から翌朝にかけて通話料が廉価で定額になる「テレホーダイ」が勃興する。

IT(2000年に総理大臣となった森喜朗は「イット」と発音した)に長けたものは、さっそく親に頼み込んでこのISDN+「テレホーダイ」でネットサーフィンを楽しむ、というのが最先端を行く若者のネット接続環境であった。

それでも、クラスを見渡しても、そうした「恵まれた」ネット環境を有する高校生は40人中、2人いればよいほうである。そんな時代だった。

この時代は、まだ当然「ネット右翼」などという言葉は存在せず、若年層で主流だった移動体通信からのネット接続は情報量の少ないテキスト主体のサイト(「魔法のiらんど」など)や、メールに限局されていた。映像記録の主流はVHSであった。そうしたアナログ時代の終末期に颯爽と登場したのが小林の『戦争論』である。

土台としての「架空戦記」もの

クラウゼヴィッツの同名書を知らなかった無垢の私とて、やおら直情的に『戦争論』を読んで天啓を受け、保守思想に目覚めたわけではない。その前史として、1980年代後半から世紀を跨ぐまで、この国では「架空戦記」が密かなブームとなっていたことを指摘せねばなるまい。

「架空戦記」とは、先の大戦に「歴史のif」要素を加味するSF小説や漫画のことで、その筋書きは「敗北するはずの日本海軍が連合軍に快勝する」というモノがほとんどである。代表としては檜山良昭の『大逆転! 幻の超重爆撃機富嶽』シリーズ。遅れて荒巻義雄の『紺碧の艦隊』『旭日の艦隊』(艦隊シリーズ)が一世を風靡し、後者はアニメ化までされて若年層にも頒布された。

私は、90年代の中盤に、このような「負けたはず」の日本軍が痛快無比に米軍を屠る(米西海岸を占領したり、マッカーサーを爆殺したり、ヨーロッパの連合軍を日本軍が爆撃する)戦記SFが大好きな少年であった。

むろんこの時期、架空戦記ブームに対しては内外から批判の声があった。戦勝国であるアメリカの識者から、「過去の歴史を直視せず、第二次大戦の結果を無視するものだ」という苦言が呈せられた、という新聞報道もあったほどである。しかし概ね、この架空戦記はSFという一分野の中で消費され、現在のように「歴史修正主義」などという汚名を着せられることはそれほどなかった。

特に荒巻義雄の『艦隊』シリーズは、ラバウル上空で死んだはずの山本五十六元帥が転生し「高野五十六」として「後世世界」で歴史をやり直す、という荒唐無稽な筋書きだったため、多くのファンを生んだ半面、取るに足らないSFとして看過された面もあった。

しかもその内容は、「日本が枢軸から脱却してヒトラーと対決し、迫害されていたユダヤ人を解放する」というモノで、あくまで日本の国策の過ちを「連合国側史観を元に修正する」というストーリーであった。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52990

>>2以降に続く)
0002ねこ名無し ★
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2017/10/04(水) 01:49:06.66ID:CAP_USER
>>1の続き)

『宇宙戦艦ヤマト』で仇敵であるガミラス帝国がナチス風に描かれたり、『機動戦士ガンダム』でも敵方のジオン公国の政体がナチスを彷彿とさせる選民(コロニー)国家であったり、といった世界設定を見ても明瞭なように、

戦後日本で流行した「架空戦記」の特徴は、あくまで「先の戦争で日本が掲げた大義=アジアの解放および大東亜共栄圏の建設」は「間違ったもの」そして「間違った事を前提としてやり直すべきもの」として、「二度と同じ轍は踏まぬ」反省の材料とされていることだ。

こうした作品の中では、史実における日本の同盟国・ドイツは常に敵役として何らかのデフォルメが加えられて登場し、より合理的で民主的な日本軍が、戦後民主主義的な考え方の下、歴史をやり直すという一貫した世界観が存在していた。

今、読み返してみると…

当時、「日本の戦争大義は正しかった」などとは、口が裂けても言い出せない時代状況であった。1993年の河野談話。続いて1995年村山談話発表。

1994年の細川政権瓦解を受けて急遽発足した羽田孜内閣において、法務大臣を務めた永野茂門は、毎日新聞の記者に対し「南京大虐殺はでっち上げだと思う」と発言したことを契機に、法相を事実上罷免された。この発言は当時の日本社会で大問題に発展した。

「日本の戦争大義は正しかった」とか、「過去の日本軍の行いにも良い面はあった」などという思想の開陳は、かろうじて「合理的で民主的な日本軍が活躍するSF=架空戦記」という表現空間においてのみ許されていた時代だったのである。

そんな架空戦記の薫陶を受けていたいっぷう風変わりな少年たる私は、SFや架空といった迂遠な枕詞を置かず、正面から「日本の戦争大義は正しかった」と漫画の中で主張するくだんの『戦争論』に良い意味で衝撃を受けたクチであった。

当時高校1年生であった私は、小学館編集部(小林)あてに個人的にファンレターすら書いたほどであった(その後、十数年を経て私は直接小林にこの事実を告げたが、当然小林が手紙を読んで居るはずもなかった)。

しかし小林の『戦争論』刊行から20年弱が過ぎ、改めて同書を再読してみると、当時の私、即ち高校生の私に「良い意味での精神的ショック」を与えた同書の内容は、すでに当時の保守論壇で使い古されていた陳腐な歴史観の漫画化に過ぎない、という厳然たる事実を認めざるを得ない。

小林の『戦争論』の末尾には、「引用・参考文献一覧」の頁がある。本編のみを貪り読んで居た高校生の私は、当時この一覧には目もくれないでいた。

だがこの部分にこそ、その後に世紀を跨ぎネット右翼が勃興する黎明期、まさしくネット右翼「予備軍」たる有形無形の(丸山真男曰く、「日本型ファシズム」を支えた中間階級第一類である)「亜インテリ」の思想的苗床となった、土壌のようなものが見えてくる。

この『戦争論』の背景にある、いや『戦争論』の「元ネタ」と呼んで差し支えないであろう「保守本」こそが、地下茎のように菌糸が縦走する腐海の森のごとく、現在に至るネット右翼の常識を形成したことを考えると、慄然とするのである。

保守サロンの「定型文」を漫画化した

『戦争論』の元ネタとなった「保守本」とはいったい何なのであろうか。

それは同書の「引用・参考文献一覧」の中で、ひときわ目を引く「保守言論界の大物」による著作である。

上智大学教授で保守言論界の重鎮中の重鎮とされた、渡部昇一著『かくて昭和史は甦る――人種差別の世界を叩き潰した日本』(クレスト選書、初版は1995年5月。文庫版が『かくて昭和史は甦る 教科書が教えなかった真実』として、2015年にPHP研究所から出版)だ。

改めて冷静な視点で両書を読み比べると、小林の『戦争論』は、ほとんどすべてこの渡部昇一の『かくて昭和史は甦る』を下敷きにしていると明瞭に判断できる。つまり『戦争論』の元ネタの大部分を同書が占めているのである。

いや、むしろ小林の名誉のために書くならば、1990年代当時の「保守界隈」に、もっと言えば戦後の右翼・保守全般に満ち満ちていた先の戦争に対する「歴史観」を、権威ある学者である渡部が1995年、『かくて昭和史は甦る』にまとめたに過ぎない、と言うこともできる。

だから小林の『戦争論』には、当時、産経新聞や雑誌『正論』とその周辺だけに自閉していた「保守というサロン」の中の空気を、初めて漫画化した作品であるという評価を与えなければならない。

しかし読者の側は、産経新聞はおろか(当時、私の住む北海道では産経新聞の購読はエリア外につきほぼ不可能であった)『正論』の存在も、その名称が朧げに頭の中にあるだけだった。

(続く)
0003ねこ名無し ★
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2017/10/04(水) 01:49:20.19ID:CAP_USER
(続き)

産経新聞と雑誌『正論』の読者が支える戦後の保守層は、既にこの時から高齢化し、相互の連絡は集会か封書という古典的手段によってのみ維持されていた。それゆえ、インターネット社会の到来前、彼らの世界観は彼ら「保守」というサロンの中にのみ共有されていた「ジャーゴン」(組織内言語)であった。

小林の『戦争論』が画期的だったのは、『かくて昭和史は甦る』にみられるような「保守」に蔓延する、あの戦争に対する「知られざる違和感」を初めてそのサロンの外に、しかも漫画という若年層に親しみやすい媒体で喧伝した点であった。

つまり小林の『戦争論』は、自閉的な当時の「保守」というサロンのジャーゴンを、分かりやすく部外者に伝達する漫画版のパンフレットのようなものであったといえる。

しかし、当時の私のような無垢で未熟な若年層読者には、『戦争論』の中身がとうに使い古された「保守」のジャーゴンである、という認識は無い。ここに、後年のネット右翼興隆に繋がる悲劇の一端がある。

ゴー宣の「ネタ本」を検証しよう

話を元に戻そう。小林の『戦争論』の大きな元ネタともいえる渡部の『かくて昭和史は甦る』において、あの戦争への歴史的評価は、大別すると概ね次の9項目のようになる。

この「渡部昇一史観」ともいうべき歴史観を、簡潔に点検していこう。一部順不同となるが、ご容赦願いたい。

http://gendai.ismcdn.jp/mwimgs/5/6/640m/img_5669398f35e5bd38af52f42a359226fc182698.jpg

渡部昇一史観の核となっているのは、まず第一に(1)「第一次大戦の講和条約(パリ講和会議)において、日本側から提出された人種差別撤廃条約が、アングロサクソン(白人)の西欧列強によって拒絶された」という人種対立である。

このテーゼは小林の『戦争論』でも繰り返し登場し、のちの「大東亜共栄圏」の正当化にもつながる大義名分として描かれている。「有色人種唯一の工業国」たる明治国家・日本の面目躍如という歴史の1ページとしてだ。

小林の『戦争論』は、渡部のこの指摘から引用しているためか、どうしても「白人vs.有色人種(日本)」という図式を、第二次大戦前の時代の国際潮流から導き出しがちである。

では、この指摘はどれほど妥当性のあるものなのだろうか。

まず、パリ講和会議後に人種差別撤廃提案が日本から国連(国際連盟)に提出されたのは事実だが、この提案に植民地大国のフランス、そしてリビアやイタリア領ソマリランドを領有していたイタリアが賛成票を投じていた事実は、両書では一切言及されていない。

そもそもこの提案がなされた当時、日本は同じ有色人種の住む台湾(日清戦争勝利の結果)、および朝鮮(日露戦争勝利の結果)を植民地支配していた。片手で人種差別撤廃をうたいながら、片手で同じアジア人種を植民地にしていたという明治国家の二枚舌の矛盾を、渡部は一切説明していない。

さすがにこれでは分が悪いと思ったのか、渡部は(6)日本の朝鮮統治は良かった論を述べて、決して日本は同じアジアの民から搾取したのではない――という理屈を展開する。

つまり、1910年の朝鮮併合から始まり、1945年の終戦による朝鮮半島の「解放」まで都合35年間、日本は慈悲の心でもって朝鮮を統治したのであり、それは民族差別でも植民地的搾取でもなかった、として(1)を補強しているのである。

「日本の植民地はいい植民地」理論

しかし、渡部は明治日本国家の帝国主義的傾向と、植民地支配から日本が得た利益には一切言及していない。

日清戦争によって清国から割譲せしめた台湾島と澎湖諸島は、明治国家にとってはじめての対外植民地(樟脳、サトウキビ、コメ類等)とされ、植民地統治開始から7年の投資でその経営は黒字になり、台湾銀行は本国日本へ植民地経営の余剰金を送金している。明治国家にとって台湾支配は「金のなる木」であった。

朝鮮については、確かに持ち出しの方が大きかったものの、その後同地は大陸への進出(満州事変)への重要な軍事的橋頭堡として機能したのだから、単純に植民地からの収奪の多寡を以て善政・悪政を判断するのは論外である。

さらに言えば、20世紀のこの時代、西欧列強の植民地はほとんどが持ち出し方の赤字経営である。アメリカの実質的な植民地であったフィリピンは、アメリカから民主主義と(制限的ではあるが)自治権を与えられ、スペイン統治時代(米西戦争の1898年まで)とは比較にならぬほどインフラ整備が進んだ。

(続く)
0004ねこ名無し ★
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2017/10/04(水) 01:49:31.20ID:CAP_USER
(続き)

当時のフィリピンでは、反米抗争が徹底した武力で取り締まられる一方、学校、教会、道路、鉄道、病院、電信電話網等が整備された。第二次大戦前には東南アジア随一の栄華を誇るマニラへ、その賃金の高さを当て込んで日本からの出稼ぎ労働者や娼婦(からゆきさん)が殺到したというほどである。

それと引き換えに、アメリカはルソン島を極東におけるアメリカ進出の前衛とするべく、コレヒドールやバターン半島を要塞化し、ルソン島中部のクラークフィールドには一大空港を建設して、来るべき対日戦や中国進出の橋頭堡確保に勤しんだ。

支配する側が経済的に損をしていれば植民地経営も許されるというならば、多くの西欧列強もまた、その免罪の対象になるであろう。

渡部昇一史観によると、損得勘定で損をした植民地というのは植民地ではなく、朝鮮半島の支配も大義(内鮮一体=朝鮮半島を日本本土と一体化しようという朝鮮総督のスローガン)ある善政であり植民地支配ではない、というのだから罪深い。

その理屈なら、日本側が黒字なら植民地ということになり、台湾は植民地ということになるが、どうもネット右翼はこうした不都合な事実についてはだんまりを決め込んでいる。

小林はくだんの『戦争論』において、「わしらも誇りにしようじゃないか 差別主義者の白人と戦った祖父を持つことを!」(P.150)と意気揚々と結んでいるが、何のことはない当時の日本も、同じアジア人種たる台湾から搾取し、朝鮮半島を土足で統治し、同じアジア人種たる中国大陸を侵略していた差別主義国家なのであった。

現在でも、多くのネット右翼が「日本の朝鮮統治にあっては、日本側の持ち出しの方が多く赤字だったのだから、現在の韓国人はそれに感謝していない忘恩の匪賊」という固定観念を叫ぶ。彼らの世界観を遡れば、こうした「渡部史観」に直結しているのではないか。

渡部史観とは、まさにのちのネット右翼の思想的源流というべき歴史観であり、小林が『戦争論』によって、この渡部史観をはじめて漫画化したのである。

古谷経衡(ふるや・つねひら) 1982年生まれ。文筆家。保守派論客として各紙誌に寄稿する他、テレビ・ラジオなどでもコメンテーターを務める。2012年に竹島上陸。
著書に『意識高い系の研究』(文藝春秋)、『草食系のための対米自立論』(小学館)、『ヒトラーはなぜ猫が嫌いだったのか』(コアマガジン)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)他多数。

(おわり)
0005<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
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2017/10/04(水) 01:51:27.66ID:8lYc5YVt
小林よしのり「希望の党はもはや極右、小池の乗っ取り独裁党、国民は誰も支持しないだろう」 [無断転載禁止]©2ch.net
http://hayabusa9.2ch.net/test/read.cgi/news/1506820594/

小林よしのり「リベラル排除の『希望の党』は極右政党になる。枝野の信念にこそ希望がある。『立憲民主党』に期待する」 [385687124]
http://leia.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1507014629/
0006<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
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2017/10/04(水) 01:52:50.72ID:1roA4INa
安心してください




そんなクソ本誰もしらんから
0008<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
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2017/10/04(水) 02:00:37.56ID:65vpeDcv
なげーよ。
誰も読まんわ!

よしりんはその後、反米思想にかぶれたりしてよく分からない人になったがな。
自虐史観一辺倒だった時代を変えたせいで今だにサヨクからは攻撃の対象だが。
0009<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
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2017/10/04(水) 02:01:03.43ID:FOpUzLSB
小林もこいつも時流と反することを主張して注目を浴びたいだけの
浅はかな知能しか持たない種という印象しかないんだけど
0010<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
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2017/10/04(水) 02:03:43.71ID:FSUfxUNX
お前ごときが何が検証だよw
0012<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
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2017/10/04(水) 02:05:12.41ID:4l0S98eN
ゴーマンかましてよかですか?
0013<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
垢版 |
2017/10/04(水) 02:06:49.93ID:ypi370D0
お前らも小林よしのりの戦争論読んでネトウヨになったんだろ
南京大虐殺や従軍慰安婦を否定する時小林よしのりの戦争論受け売りそのままだからな
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