>>1の続き)

『宇宙戦艦ヤマト』で仇敵であるガミラス帝国がナチス風に描かれたり、『機動戦士ガンダム』でも敵方のジオン公国の政体がナチスを彷彿とさせる選民(コロニー)国家であったり、といった世界設定を見ても明瞭なように、

戦後日本で流行した「架空戦記」の特徴は、あくまで「先の戦争で日本が掲げた大義=アジアの解放および大東亜共栄圏の建設」は「間違ったもの」そして「間違った事を前提としてやり直すべきもの」として、「二度と同じ轍は踏まぬ」反省の材料とされていることだ。

こうした作品の中では、史実における日本の同盟国・ドイツは常に敵役として何らかのデフォルメが加えられて登場し、より合理的で民主的な日本軍が、戦後民主主義的な考え方の下、歴史をやり直すという一貫した世界観が存在していた。

今、読み返してみると…

当時、「日本の戦争大義は正しかった」などとは、口が裂けても言い出せない時代状況であった。1993年の河野談話。続いて1995年村山談話発表。

1994年の細川政権瓦解を受けて急遽発足した羽田孜内閣において、法務大臣を務めた永野茂門は、毎日新聞の記者に対し「南京大虐殺はでっち上げだと思う」と発言したことを契機に、法相を事実上罷免された。この発言は当時の日本社会で大問題に発展した。

「日本の戦争大義は正しかった」とか、「過去の日本軍の行いにも良い面はあった」などという思想の開陳は、かろうじて「合理的で民主的な日本軍が活躍するSF=架空戦記」という表現空間においてのみ許されていた時代だったのである。

そんな架空戦記の薫陶を受けていたいっぷう風変わりな少年たる私は、SFや架空といった迂遠な枕詞を置かず、正面から「日本の戦争大義は正しかった」と漫画の中で主張するくだんの『戦争論』に良い意味で衝撃を受けたクチであった。

当時高校1年生であった私は、小学館編集部(小林)あてに個人的にファンレターすら書いたほどであった(その後、十数年を経て私は直接小林にこの事実を告げたが、当然小林が手紙を読んで居るはずもなかった)。

しかし小林の『戦争論』刊行から20年弱が過ぎ、改めて同書を再読してみると、当時の私、即ち高校生の私に「良い意味での精神的ショック」を与えた同書の内容は、すでに当時の保守論壇で使い古されていた陳腐な歴史観の漫画化に過ぎない、という厳然たる事実を認めざるを得ない。

小林の『戦争論』の末尾には、「引用・参考文献一覧」の頁がある。本編のみを貪り読んで居た高校生の私は、当時この一覧には目もくれないでいた。

だがこの部分にこそ、その後に世紀を跨ぎネット右翼が勃興する黎明期、まさしくネット右翼「予備軍」たる有形無形の(丸山真男曰く、「日本型ファシズム」を支えた中間階級第一類である)「亜インテリ」の思想的苗床となった、土壌のようなものが見えてくる。

この『戦争論』の背景にある、いや『戦争論』の「元ネタ」と呼んで差し支えないであろう「保守本」こそが、地下茎のように菌糸が縦走する腐海の森のごとく、現在に至るネット右翼の常識を形成したことを考えると、慄然とするのである。

保守サロンの「定型文」を漫画化した

『戦争論』の元ネタとなった「保守本」とはいったい何なのであろうか。

それは同書の「引用・参考文献一覧」の中で、ひときわ目を引く「保守言論界の大物」による著作である。

上智大学教授で保守言論界の重鎮中の重鎮とされた、渡部昇一著『かくて昭和史は甦る――人種差別の世界を叩き潰した日本』(クレスト選書、初版は1995年5月。文庫版が『かくて昭和史は甦る 教科書が教えなかった真実』として、2015年にPHP研究所から出版)だ。

改めて冷静な視点で両書を読み比べると、小林の『戦争論』は、ほとんどすべてこの渡部昇一の『かくて昭和史は甦る』を下敷きにしていると明瞭に判断できる。つまり『戦争論』の元ネタの大部分を同書が占めているのである。

いや、むしろ小林の名誉のために書くならば、1990年代当時の「保守界隈」に、もっと言えば戦後の右翼・保守全般に満ち満ちていた先の戦争に対する「歴史観」を、権威ある学者である渡部が1995年、『かくて昭和史は甦る』にまとめたに過ぎない、と言うこともできる。

だから小林の『戦争論』には、当時、産経新聞や雑誌『正論』とその周辺だけに自閉していた「保守というサロン」の中の空気を、初めて漫画化した作品であるという評価を与えなければならない。

しかし読者の側は、産経新聞はおろか(当時、私の住む北海道では産経新聞の購読はエリア外につきほぼ不可能であった)『正論』の存在も、その名称が朧げに頭の中にあるだけだった。

(続く)