>>971
>んじゃさあ、列強と一緒に満州の利権分け合ってうまくいってたの?
>どっちみち国民感情的にも許せなかったしどっかで衝突してたでしょ

立憲民主党が看板乗っ取りをたくらむ立憲民政党や濱口に入れ込む理由は不明だが、その疑問は全て
大恐慌発生時の舵取りにさかのぼる

大前提として満蒙政策が命綱とされたのは濱口の金融引締めに代表される大恐慌発生時の失政が原因だ
高橋是清が大蔵大臣であれば、満蒙政策が生命線になるまで追い込まれる心配はなかった

また大恐慌の混乱の最中で中国ナショナリズムが過激になる中で、列強(?)と満州利権を
分けあうという状況ではない

その理由として世界中でソ連の革命による非道行為は伝わっていたし、満州での在留日本人に対する
攻撃がソ連・中共のゲリラであった可能性も否定できない

結果をみれば、中国にも強いナショナリズムが生まれる途上であり、軍事的に押さえ込むしか
道が無いと判断した永田鉄山の見立ては間違いではない。しかし満蒙権益を確保するという
目的を濱口が与えなければ不必要であり、皇道派の真崎甚三郎や海軍省は英米との関係をこじらせ
ることの方に危機感を感じていた

真崎甚三郎に代表される皇道派は、満州事変に否定的であり

「満州事変の原因を、国家革新の熱病に浮かれた軍部の幕僚連が、理想の国家を満州に作り、そこから逆に日本に及ぼして日本を改造するために引き起こされたものと見なしていた真崎は、事変不拡大・満州事変は満州国内でおさめることを基本方針として収拾にあたった。」

以上の点から濱口と立憲民政党なりの理由によって満蒙利権を持った上で、英米と協調できるとの共存不可能な目的を設定したことが分かる

>満州事変から反日派凄かったし

まさに、その事が >>953 に書いている。満州事変が起きたのは、1931年であり
濱口が方針を定めた後のことだ

濱口は満州への介入を止めるために満蒙利権を手放せば、軍部は割れた
濱口は命を狙われたかもしれないが、本人が生きたいという欲を持つことと国民の安全を計ることの優先順位は明らかだ