1985年に「スパイ防止法」を議員立法として国会に提出したときに
この法案に反対のキャンペーンを繰り広げて廃案に追い込んだのがアサヒ新聞でした。
70年代の後半から北朝鮮は日本人拉致を頻繁に行うようになり、この法案が
提出されたのはまさに北朝鮮の工作員が毎日のように日本の近海に出没していた
時期なのです。日本の国民はマスゴミの隠蔽体質によってそういう事実すら
知らされずに、また、アサヒ新聞や左翼の政党の反対で、工作員を取り締まる
スパイ防止法すら制定できなかったのです。
結果的に見れば、スパイ防止法さえあれば、これほど多くの国民が北朝鮮工作員に
拉致されることはなかったでしょう。
アサヒ新聞というのは拉致犯罪国家の北朝鮮による日本国民拉致に協力した
犯罪者集団と言っても間違いではありません。