神道の精神性と今の朝鮮人の精神性は水と油。何万年経っても神道が朝鮮人に受容されることはあり得ない。
つまり半島から渡来して神道を受容した人たちは、今の朝鮮人とは違った人達だと言うこと。逆に言えば日本人が精神性において朱子学を受容できなかったのと同じこと。
文化と雖も受容するには受容できる素地が無くてはならない。キリスト教やイスラムが日本では何百年経っても流行しないのと同じこと。要するに合わない。
日本人は神を実在として絶対服従するが他の神の存在も同様に認める。蒸し暑い気候の故に清潔を経験的に最優先する。現世が比較的豊かで住みやすい故に死を恐れ生き続けることを望む。
日本列島でなければ発生しなかった思想性だろう。