これは本当だろう。亡くなった母が若いとき、朝鮮総督府勤務の伯父を頼って
数ヶ月遊びに行った。朝鮮総督府は日本の行政府と同じで、朝鮮の官吏も
日本の官吏も同じ物腰、朝鮮の官吏は完璧な日本語を話すし、日本の行政
に対する勉強も良くしていた。現地で雇った女中さんも敬語を含む完璧な
日本語と日本人と同じ挨拶をし、綺麗なチョゴリを着て仕事をしていた、
そうだ。戦後、特に大阪に暮らす朝鮮人を見て、平城で見た朝鮮人との
違いに母は嘆いていた。彼女は最後まで、日本の統治下で栄えた朝鮮人の
記憶を大切にしていた。後になって伯父から聞いた話だが、朝鮮の官吏は
戦後、誰一人として音信がなくなったそうだ。思うに、全員殺されたのだろう。