長崎の、「赤い背中」の写真で知られる被爆者、谷口稜曄氏が亡くなった。当時は16歳の郵便局員、自転車で配達中に背中一面に熱線を浴びた谷口さんは、定年まで郵便局を務め上げた後、写真が自分であることを公表、

原爆の語り部として長崎県内を中心に学校などで自分の背中に刻印された原爆の地獄を語り続け、核兵器禁止条約の締結を求めてニューヨークも何度も国連本部を訪ねるなど、精力的に活動された。

もう12年前のことだが、終戦60年記念で作られた谷口さんが主人公のNHKスペシャルの終盤で、当時はまだ金正日体制だった北朝鮮の核開発がニュースになる。谷口さんは「アメリカがあれだけ核を持っているのに、小国だから持つな、というのでは通じない」と吐き捨てるように呟いていた。

原爆の苦しみをもっとも味わされた1人であり、戦後は「核抑止力」の名の下に敵が持つなら自国も、という核競争の時代も目撃して来た者だからこそ言えた、この根本的な道理が、どうしたことか唯一の戦争核被爆国のはずの日本では理解されないままに、北朝鮮はついに水爆を搭載したミサイルでアメリカ本土も攻撃できる能力まで持とうとしている。

ロシアの下院議員が北の高官から聞いたところによれば射程9,000Km(カリフォルニア北部まで)はすでに可能で、今は12,000Km(ワシントンDCまで到達する)に伸ばそうとしているというのだ。

むろん被爆者にとってあらゆる核兵器開発は悪であり、核兵器の使用は人道犯罪でなければならない。いかに防衛目的を主張しようが(そもそも強大な殺傷能力だけでなく被爆地に深刻な放射能汚染ももたらす核兵器が、どう「防衛目的」で使えるのかも不思議な話だが)その保有も禁止されなければならないことに、アメリカでも北朝鮮でも変わりがない。

そのアメリカが巨大核武装で北朝鮮を脅し続けているのが現実であり(これも日本人の大多数は気付かないか、気付かぬふりをしている)、アメリカやその同盟国である日本が「核抑止力」というロジックでこの脅迫体制を正当化するのなら、

同じ理屈は国の大小を問わず平等に適用されなければ筋が通らないのは、確かに谷口さんが指摘し、今年の平和宣言で田上長崎市長が指摘し、オバマも広島で間接的に認めた通りだ。

逆に今は北朝鮮が、その「核抑止力」をアメリカ相手に獲得しようとしている。

と言っても、むろん量的にアメリカが圧倒的に凌駕し、いつでも北朝鮮全土の核による皆殺しも可能なことは変わらない。ただしアメリカがその攻撃能力を北朝鮮を相手に使うのなら、現状でもすでにサンフランシスコやシアトル、いずれはワシントンDCやニューヨークの全滅を覚悟しなければならなくなる。

自国民の犠牲を恐れるなら、アメリカとて北朝鮮を核攻撃はできなくなった。これが日本政府が呪文のように繰り返す「抑止力」というものの実相だ。

核拡散防止条約という時代錯誤な大国の身勝手

核拡散防止条約(NPT)では、確かに一部の国を除き核兵器保有は禁じられている。だがその一部の国とは国連安保理常任理事5大国であり、それら大国の身勝手に歪められた「国際法」が不公平で道理に合わないのも、その核保有超大国以外のどの国にとっても明らかなことだ。

第二次大戦後にそれら大国の植民地からの独立が相次いでから60年70年と経ち、新興国として頭角を表す国々も増えているなか、依然「国際秩序」が旧来の、19世紀の植民地主義列強を中心とする大国の恣意に左右されている人種差別的な不平等が、いつまでも是認され続けるわけではない。

すでにインドとパキスタンが、NPTに反して核兵器を保有している。安倍首相はそのインドと日本が核協定を結び、原子力発電技術を提供するという。

これでは日本が北朝鮮の核兵器開発を建前では非難できたNPT違反という不完全な大義名分すらなくなってしまうのだが、しかも安倍はこれが「対中包囲網」の一貫になるとして期待を寄せているのだから、なにを血迷っているのか理解に苦しむ。連携して包囲網を構築すべき相手をわざわざ敵視して周辺諸国の連携を破綻させようとするとは、いったいなにがやりたいのだろう?

http://www.france10.tv/international/6251/

>>2以降に続く)