>>1の続き)

同じ脱北者と共に、朝鮮総連をはじめ、日本政府、北朝鮮の赤十字など六つの機関に対して、申し立てをして、北朝鮮の帰国事業の悲惨さ、それによって被害を受けた人々に謝罪することを国際機関に認めさせることが目的です。

私はそのために、日本全国のどこでも、呼ばれれば行って講演しています。今年に入って、北朝鮮の金正恩をオランダのハーグの国際裁判所に訴えるための準備をしています。北朝鮮を動かすには、国際世論によって動かさなければ、本当の効果が期待できません。

そのために、どこにも依存することができない。本気でやるためには、命懸けでやらないといけない。私は国内外に訴えるために、朝鮮総連や朝鮮大学の前で、毎月1回、抗議活動をしていました。北朝鮮を変えるためには、まず朝鮮総連を無くさなければならない。

今後の展望をどのようにしていくのか。?

帰国船という朝鮮総連の行った事業は、人権侵害そのものです。一番のカギは、朝鮮総連です。帰国事業は、労働をさせるための人材を得るためでした。それを正さないといけない。少なくとも、北朝鮮に帰還した在日同胞、日本人妻が自由に往来できるようにしなければならない。

北朝鮮に帰国船で帰った在日は特に悲惨な生活が待っていたのです。私は、北朝鮮に家族ではなく、一人で行ったことはよかったと思いました。家族で行っていたなら、家族全員が犠牲になっていたでしょう。

そのために、私は家族が北朝鮮に来ないように、サインを送り続けた。そのまま書くと、届かないので、何気ない文章の中に、家族がこちらの状況が分かるように、あの手この手でサインを送り続けました。

そのおかげで、日本にいた私の家族は北朝鮮に帰国することを中止しました。後に、母の親族からそのことを教えられました。  私は脱北して生きていて父に会えたことが感謝でした。父は90歳でしたが、私が会って4日後に亡くなりました。

父が亡くなってから、しばらく短い期間でしたが、母と一緒に生活し、いろいろ話すことができて親孝行をすることができたのも幸運だったように思っています。

(おわり)