今や世界的な人気と信頼を獲得している日本メーカーの自動車だが、もちろん順風満帆に発展してきたわけではなく、幾多の試行錯誤によって今が存在する。

日本の自動車業界が大きく飛躍し始めたのは1960年頃からだが、中国メディア・今日頭条は17日「日本の魔性の年代 1960年の日本の自動車」とする記事を掲載した。

記事は、戦争に敗れた日本が廃墟の中から再び発展を遂げるには、一定の時間が必要だったとし、それまで日本の街で見かける最高の自動車は、米軍将校が乗る米国車だったと紹介。そんな中、日本の自動車工業関係者たちは国民的な国産自動車の製造を夢見続けてきたとした。

そして55年にはついにトヨタが初代クラウンを発表。しかし値段が別荘にも匹敵するほどという超高級品で、大衆車とはかけ離れたものだった。同年には住江製作所が廉価で軽量なフライングフェザーを開発するも、こちらは性能が低すぎたために市場の人気が得られなかったそうだ。

また、英オースチン社の技術を持ち込んだダットサン112型や、トヨタ・コロナST10といった国産自動車が登場したが、いずれもブームを巻き起こすには至らなかったと紹介している。

トヨタがクラウンを発表した3年後の58年、スバル360が誕生。記事は「このクルマがついに日本の消費者の心をつかむことに成功し、10年にもわたって同じクラスの販売数トップを守り続けた」と絶賛した。

高度成長と消費力の向上に伴って60年代は国産車が次々と製造されるようになり、トヨタとダットサンがしのぎを削りつつ大きく成長、トヨタは66年に完成度の高いカローラを発表したと紹介。さらにすでにバイクで成功していたホンダが四輪車の領域にも参入し、S500などのスポーティーな自動車を作ったと伝えた。

「この年代は、東西文化が日本という土地において史上例を見ないほど激しくぶつかりあい、独特の魅力を備えた芸術や工業製品が生まれていったのだ」と考察して、記事は解説を結んでいる。

高速道路も新幹線も、開通したのはまさにこの1960年代。次々と新しいものが生まれ、人びとの生活は大いに変わっていった。単純に比較することはできないが、そのムードは現在の中国にも相通じるものがあるのではないだろうか。(編集担当:今関忠馬)

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