日本の隣国である中国、韓国、ロシアはどのような歴史観を持ち、どのような日本観を持っているのか。前回の中国編に続き、本稿では韓国の歴史教科書を分析する。 佐藤優(作家・元外務省主任分析官)

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「友好の歴史」はほぼ言及なし

続いて韓国の教科書です。今回、私が一番驚いたのは、この韓国の教科書に書かれた歴史観でした。この国の歴史観は日本にとって脅威だといっても過言ではありません。世界の教科書の中でも極めて珍しい、「テロリスト史観」によって貫かれているからです。

「我が国の先達はここまで追い詰められ、テロをせざるを得なかった」、そういった歴史が延々と綴られているのです。

北朝鮮との親和性は予想以上に強く感じられ、また北朝鮮の歴史教科書よりも過激な内容になっています。

「テロリスト史観」については後述しますが、歴史の書き換えを行ったり、肝心なことを記さないのが韓国の歴史教育のもう一つの特徴です。たとえば、豊臣秀吉の朝鮮出兵という「敵対の歴史」は数ページに渡って記しても、江戸時代の朝鮮通信使のような「友好の歴史」についてはほぼ言及がない。

日韓併合に関しては、現在の韓国政府の主張をなぞったもので、目新しい部分はありません。乙巳(いつし)条約(第二次日韓協約)は〈外国との条約締結権を持った皇帝の裁可を受けていない〉ので無効である、というのはその一例です。日韓併合のその日はこう書かれています。

〈1910年8月、総理大臣・李完用と統監・寺内正毅が韓日併合条約を公布した。これにより大韓帝国は主権を奪われ、日帝の植民地に転落してしまった〉(『高等学校 韓国史』志学社)

韓国の教科書の本当の特異性が見られるのは、日韓併合前後からです。日本では韓国のテロリストと言えば伊藤博文を暗殺した安重根が思い浮かびます。ところが、その扱いはあっさりしたものです。

〈張仁煥と田明雲はアメリカのサンフランシスコで日本の侵略を美化していたスティーブンスを狙撃し、安重根は満州のハルピンで伊藤博文を暗殺した(1909)〉(同前)

そして、安重根以外のテロリストの行動に関する記述が続きます。

〈朴烈は1923年日本で国王の暗殺を企てた。趙明河は1928年台湾で日本の皇族を刀で襲う義挙を行った〉

〈1932年に韓人愛国団員の李奉昌が東京で日本の国王が乗ったとみられる馬車に爆弾を投げた。失敗したが、このことに対して上海の新聞では失敗を惜しむ論調で報道した〉

〈韓人愛国団員だった尹奉吉は記念式の壇上に爆弾を投げ日本軍将軍と高官らを暗殺した。尹奉吉の義挙は世の中を驚かしたものであり、特に中国人に深い印象を与えた〉(同前)

きりがないのでここまでにしますが、要するに天皇や政府高官を暗殺しようとしたテロリストを延々と紹介(李奉昌と尹奉吉は肖像写真つき)しているのです。安重根の“功績”がそれほど高くないこともわかる。

その理由は明白です。伊藤博文は初代首相と言っても、国の元首ではありません。重要なのは「玉」。日本の国家元首である天皇や皇族の命を狙った者が、韓国の教科書では最も偉大だとされているのです。

文明国において、テロによって現状を打破する試みを褒め称えることは、通常考えられません。しかし、韓国は違う。伊藤博文暗殺に「成功」した安重根よりも、天皇暗殺に「失敗」したテロリストについて詳しく書いています。

さらに言えば、これらの記述からは、天皇暗殺という動機を掲げただけで称賛に値し、手段や結果はどうでもよいという場当たり的な思考も見え隠れしています。

この教科書で教えられるのは「我が国のテロリズムの歴史はこれだけ長い」ということに他なりません。イスラエルでもアイルランドでもそういった教育はしていません。韓国は“恨”の文化といわれますが、教科書も怒りに突き動かされて作られている。カーッと頭に血が上る怒りの感情が底流を貫いているようです。

「日韓の問題は解決しなかった」

日本の朝鮮統治については、「日帝の植民統治と経済収奪」として、多くのページが割かれています。

http://bunshun.jp/articles/-/4520

>>2以降に続く)