日本は古代中国、とくに唐代の面影を現代にも多く残していると言われる。碁盤の目の形をした京都の街はしばしば「長安をコピーしたもの」と称される。中国メディア・今日頭条は18日、日本は唐代、韓国は明代、ベトナムは宋代の文化的な影響を強く受けているとする記事を掲載した。

記事はまず日本について言及。秦や漢の時代に頻繁だった交流は、漢末の大乱によって中断、再び盛んになったのは隋唐の時代で、特に白村江の戦いで完敗した日本は唐との大きな差を痛感し、遣唐使を派遣してあらゆる方面において中国文化を模倣、唐の文化が日本に深く根ざしたと説明している。

続いては韓国を含む朝鮮半島。「朝鮮半島に最も影響を与えたのは、明朝だ。朝鮮王朝を作った高麗の大将・李成桂は明朝に完全に服従し、200年余りの間、朝鮮王朝は明朝の属国であり続けた。明朝の皇宮には朝鮮からの王妃や大監がやってきた。明朝文化はもちろん朝鮮に影響を与え、清朝に征服されてもなお明朝の文化を保ち続けた。それゆえ、明朝は朝鮮にあると言えるのだ」とした。

そしてベトナムについては「南宋によって安南国として冊封されたベトナムは、盛んに中国の制度を取り入れていた。しかし、元軍の侵攻を3度も跳ね返して独立を守って以後、政治的には中国王朝の属国ではあったものの、文化的に独立する傾向が生まれ始める。明朝・清朝はもはやベトナムが仰ぎ慕う対象ではなくなり、文化を取り入れることはなくなった。このため、ベトナムに存在する中国文化は宋の段階で留まっているのだ」と論じている。

日本も朝鮮半島もベトナムも、中国の影響を色濃く受けてきた中華文化圏の国だが、それぞれ残っている中国文化の年代が異なるというのは興味深い。当の中国大陸は、近現代における動乱や政治運動などにより古代の文化の多くを失った。

古代中国の文化が見直される中、これらの国を訪れて古代中国の香りを感じるたびに、中国の人びとは誇りと羨望の入り混じった複雑な感情を抱くのだ。(編集担当:今関忠馬)

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