中国共産党の最高指導部である「チャイナセブン」が決まった。すでに、10月21日付本連載記事『中国・習近平、後継者不在の揺るぎなき完全独裁体制へ…「チャイナセブン」刷新』で予想した通りである。本稿では最高指導部人事をさらに詳しく分析してみたい。

チャイナセブンである党政治局常務委員の7人、および彼らを含む25人の党政治局員を調べてみると、一部を除いて、ほとんどが習近平国家主席に近いことがわかる。特に多いのが、習氏が地方政府トップ時代の側近だ。いわば、「阿諛追従(あゆついしょう)内閣」であり、悪くいえば「ゴマすり集団」との呼び方がふさわしいであろう。

また、下馬評では毛沢東時代の「党主席制度」が復活し、習氏が今後10年党最高指導者を継続するとの見方もあったが、今回は見送られた。

その代わりに、習氏の名前を冠した「習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想」が党の「行動指針」として盛り込まれたものの、文字上だけの新鮮味に乏しいものであったことから、党内では長老指導者を中心に、習氏の強引な政治姿勢に反発する勢力も一定の影響力を持っていることがうかがわれる結果となった。

チャイナセブンの顔ぶれ

党大会を終えた翌25日の中国共産党第19期中央委員会第1回総会(1中総会)でチャイナセブンに選ばれたのは、序列順に、習氏と李克強、栗戦書、汪洋、王滬寧、趙楽際、韓正の7氏。再選された習氏と李氏以外、初の最高指導部入りで、その担当職務は次のようになる。

習近平:党総書記、国家主席
李克強:首相
栗戦書:中国全国人民代表大会(全人代)常務委員長
汪洋:中国人民政治協商会議(政協)主席
王滬寧:党務全般、中央書記処書記
趙楽際:党中央規律検査委員会書記
韓正:筆頭副首相

このなかで、習派でないのは李首相ただひとりであり、他の5人はすべて習派だ。栗氏は習氏が地方幹部としてスタートを切った河北省時代の県幹部の同僚。

汪氏は李首相同様、中国共産主義青年団(共青団)トップを経験した共青団閥とみられていたが、これまでの5年間の副首相(兼党政治局員)時代に変節し、経済政策を中心に習氏に擦り寄って、今回のチャイナセブン入りを決めたといえる。

この点でいえば、李首相自体も、これまでの5年間の首相時代に極力、習氏とぶつかることを恐れ、穏便に振る舞ってきた。重要会議では首相として演説するわけではなく、単なる党中央委員でも務まる司会役を粛々とこなすなど、その姿は哀れさを通り越して痛々しくもあった。その結果、常務委員に再任されたといえそうだ。

実際、「ポスト習近平」の党総書記候補と目されていた胡春華・広東省党委書記は常務委員会入りできず、政治局員に据え置きとなった。これまでの5年間重要な省である広東省トップを務めてきた実績からいえば極めて異例だ。

これは今回の人事で、胡氏同様、やはり共青団のトップを務めてきた李源潮・国家副主席が定年にも満たない66歳で党政治局員に選ばれず、引退に追い込まれたのに比べれば、まだ良いほうかもしれない。

李氏にとっても、やはり胡氏と同じく常務委入りを噂されていた孫政才氏のように汚職で党籍をはく奪されて罪に問われないだけ、まだましという見方もできる。なぜならば、李氏は一部企業と癒着して賄賂をもらっていたとの噂が絶えなかったからだ。今回の早すぎる引退は「罪に問わないから引退しろ」との含みがあったといえるかもしれない。

「ごますり集団」

ところで、王滬寧、趙楽際、韓正の3氏は完全に習氏のイエスマンであり、特に趙氏は郷里が習氏と同じ陝西省であり、さらに自身が10年前に同省のトップになった際、習氏を驚かせて、喜ばせる一大プロジェクトをやってのけたことで習氏の関心をひいたのだ。

その一大プロジェクトとは、なんと同省の富平県にある習氏の父親、共産党元老の習仲勲の墓を巨大な“陵墓”に改造したことだった。

http://biz-journal.jp/2017/10/post_21114.html

>>2以降に続く)